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No.19 2015年1月 「我武者羅」

 プロライセンスを取得してから2年弱、JAPANプロとしての年間ランキングは3桁台前半、全国のプロトーナメントツアーへの参戦は半数程、無論知名度等は皆無。そんな二流三流とも言えるプレイヤーに何故スポットを当てたのか…それは私がダーツプレイヤーとしての奇跡をこの目で見て肌で感じ、今も尚苦しみ続けるプレイヤー達への希望の灯火を掲げてくれるであろうと確信したからです。

 その小池プロに私が初めて出会ったのは2011年の春、都内のダーツバーにて。第一印象は実年齢よりも遥かに幼く見え、人見知りと人懐っこさの両面を持ち、陽気で明るくダーツを愛する「左手投げ」の男性でした。
 当時はプロではなく、ましてや何処かに所属するプレイヤーでもなく、訪れた事の無いダーツバーに足を運び、出会った事の無い有名プレイヤーにただひたすら挑み続けるその無邪気な青年が、スローラインに向かいダーツを構えると、一変して表情を曇らせ始めました。ただ投げるというだけなのに、周囲からは励ましの言葉が飛ぶという異様な空気に。当の青年はダーツを握った左手を何度も揺らし握り直し、「ううー」と呻く様な声を上げ、堪えきれず全身がスローラインから飛び出すように一本のダーツを投げ放ち、その矢は的に弾かれて力無く床に落下しました。
 私が人生の中で初めて目の当たりにした、重度の「イップス」に悩むプレイヤーの姿でした。

 小池プロがダーツを始めたのは2008年、24歳の時。投げ始めて僅か3ヶ月で(ダーツライブでの)レーティングが13にまで上がり、更に3ヶ月が経過した半年目でのレーティングが15。
 無敵さと好調しか感じられず、ダーツを投げる事が楽しいだけだった日々。ダーツに関わるグッズを買い集めるのも趣味の一つだった小池プロが、友人と訪れたダーツショップでその強さを見せつけるかのようなプレイに、たまたま居合わせたL-styleの芹澤社長から声を掛けられ、スポンサー契約まで結んでしまう程。当時を振り返り小池プロは「ダーツって(自分にとって)簡単なモノだと思った」と語りました。

 しかし、天を見るのが早ければ地に落ち行くのもまた一瞬。
 小池プロにとっての悪夢はダーツを始めて9ヶ月目に、それは思いもよらぬタイミングで訪れました。
 ちょうど大きなトーナメントでレベルMAXの一つ下のダブルスにて準優勝を果たし、プロになる事を意識し始めた頃。その翌週に地元のダーツバーで開催されていたハウストーナメントに参戦していた時、それが始まったのです。
 自分の無敵とも言える左手から放たれたダーツの矢が思いもよらぬ方向に飛んで行った瞬間、その左腕はまるで誰かに押さえつけられて操られている様に、硬く鈍い動作しかできなくなりました。ダーツを構えていなければ何一つ異常の無い左手が、ダーツを握った瞬間にその手を出すことも引くこともできなくなり、自分の体の一部とは思えない「別物」に変わってしまうのです。これが小池プロが感じた最初の違和感であり、これが小池プロを2年もの間…そして今も尚蝕み続ける「イップス」の始まりでした。

 素人ながらダーツプレイヤーとしての頂点をも見え始めていた小池プロにとって「投げられない」という信じがたい事実。当然すぐに受け入れる事などはできず、整体院や鍼灸院に通うなど思いつく限りの治療を施してもらい、更には精神面での改善を求めてメンタルクリニックにも訪れました。
 どんな治療を受けても、多数の知人に相談しても、全く回復の兆しが見えぬまま。遂には自分が「イップスプレイヤー」であると認めざるを得なくなったのです。私が出会ったのもこの頃で、今の症状からほんの少しでも抜け出せるのならば…と、藁をも掴む思いで相談を持ちかけられました。ですが私自身が重度のイップス症状を持つ人と接するのが初めてで、当時は小池プロに対して何もかけられる言葉が見つかりませんでした。
 そんな状況においてもダーツに対する情熱だけは失わず、諦める事が出来なかったのはダーツを通じて築き上げた「仲間との絆」を失いたくなかったから。競技としてだけであれば「投げられない」と確信した時に既に止めていた…インタビュー時に何度も小池プロから発せられる「仲間」という言葉。自分の為だけだったらば乗り超えられない日々の痛みを感じさせられました。
 イップスの改善への思いは治療だけではなく、常に「何か兆しが見えるかもしれない」という思いから、それでも「投げる」事を続けていた小池プロは、26歳という若さで周囲を驚愕させる行動に出ました。なんと自宅に、トーナメントなどで使用され各店舗にも設置されている物と同じ「ダーツ台」を購入したのです。手狭な部屋に運び入れ、スローラインも確保し、誰に気兼ねする事も無い「練習の場」を作り上げてしまったのです。
 家に居る時、就寝前や食事の合間でも、思いつけばダーツを投げ、全力でイップスの改善に励み続けました。
 そんな小池プロに転機が訪れたのは、イップスに苦しみ始めてから2年後。自分と仲も良く、プロダーツプレイヤーとして最も尊敬している宇佐美慶プロから「新規オープンするダーツショップのスタッフにならないか?」と声を掛けられたのです。けれども治る事の無いイップスという症状を抱え、現在の職歴は17歳から今現在も務めている車両関係のみで、飲食業も接客業も経験が無い自分では何一つ力添えが出来ないばかりか、尊敬する宇佐美プロにも迷惑をかけてしまうのではと悩みました。そんな小池プロの背中を押したのは友人からの「変わりたければ自分から変わる努力をしなければ」という言葉。様々な不安を振り切り、副業でダーツショップのスタッフを始め、それと同時に「せめて来店してくれるお客さんと楽しく投げたい」という思いから、今までの利き手である「左」の逆「右」で投げようと決意しました。

 この時から、逆手プレイヤー小池猛裕プロの起死回生が始まったのです。

 右手ではイップスの症状が出るコトも無くスムーズに腕が出て投げる事が出来ましたが、右の手で「投げる」行為が初めてだった為、逆手での最初のレーティングは3。かろうじて的には届くといった程度。狙った場所に…等は無縁の次元。それでも「投げる」事が出来るという喜びと、失いたくはない「仲間との絆」を糧に、ひたすら練習を重ね投げ続けた日々。遂にその努力は報われました。

 2013年夏にJAPANプロライセンスを取得し、その時右手のレーティングは16。利き手の左でも到達する事の出来なかった領域に、逆手の右に変えて僅か1年でそれを超えてみせたのです。
 「努力は必ず報われる」そんなものはただの戯言と思ってしまっていた私に、その情熱だけで信じさせてくれた存在。
 弱音を隠さず常に表に吐き出すというその姿は、男性としての魅力からは遠くかけ離れているとしか思えませんが、それが小池プロの中に巣喰う闇を取り除いたとも言えます。
 イップスになるプレイヤーの多くは、正義感が強すぎる人格と、4スタンス理論でのB2タイプだと言われています。小池プロは正にこの二種を併せ持っていました。
 今現在もイップスで悩むプレイヤー、諦めて退いてしまったプレイヤーが数多く存在する中で、彼の快進撃は「希望の光」として皆様を導いてくれるのではないでしょうか?

 自力で奇跡を起こした小池猛裕プロ。今一度利き手である左で投げるという目標を捨てずにいるイップスプレイヤー。しかし今の私の目に映るのは、もうイップスに苦しむ過去の姿ではありません。彼の「未来への可能性」だけ。
 諦めたくないから諦めない…その大切さを教えてくれて、ありがとう…。

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