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No.33 2017年3月 今回はダーツとは直接的に関係のない話

 今回はダーツとは直接的に関係のない話になってしまいますこと、先にお詫びしておきます。
 2月17日に父が他界しまして、この数ヶ月間は関係者の皆様に父のことを優先させて頂いたので、絶対に外せない仕事以外は主に父の容態変化を優先させて頂いていました。
 事情をお知らせしたら、皆様全員「お父様のことを優先して下さい」とお気遣い頂き、父の最期を看取ることも出来ましたし、出来る限り父との時間を過ごすことが出来ました。関係者の皆様及びDeepit.Laboの生徒の皆様のお気遣いに心より感謝致します。

 父が初めて大きな手術をしたのが、今から30年前。ちょうど僕が15歳の時で、高校に入りたての時でした。
 元々糖尿病と診断されていたんですが、それが引き金になっての心筋梗塞。
 早めに診断されていたので、病院を選定している時間もあり無事に手術は成功。よく巷で言われる「バイパス手術」というものですね。
 そして、術後もゴルフが出来るくらいに回復して2年が経ち、翌年のお正月に今度は「くも膜下出血」で緊急入院。
 手術が終わった後も、新聞を読む読解力がなかったり家族の顔を見ても誰だか分からない状態が約20日間続いて、流石に覚悟していたんですが、ある時にいつも通りに意識が覚醒して、これもまた元気に退院することが出来た。

 その後も、血栓やらなんやらで幾度となく入退院を繰り返して来た父なんですが、毎回生命力の強さからか回復して、「本当に運がいいんだよなぁ」と思っていたくらい。
 そんな父だったので、その後に人工弁の手術やその他の色々な処置が施されても「毎回、結果的にありえないくらいの回復力」を見せて来た父。
 昨年夏頃に心臓の動きが悪いとのことでペースメーカーを導入したほうがいいとの話だったのですが、これも快方に向かうだろうと思っていたんですね。
 手術を終えた後の経過が、今までのように期待している数値まで上がらず、でもしばらく経てばまた元気になるだろうと思っていたんですが、昨年末まで入退院を繰り返すように。
 父はお盆やお正月のお飾り等はしっかりやっていた人だったので、いつも自分でやっていたんですが、まだ退院出来ないということで初めて僕が担当し「退院して来たら、ここのやり方が悪い」とか怒られるだろうなと想像しながらも父の帰りを待っていました。
 ギリギリ年末に退院、いや病院側は本当はまだ数字的に退院してほしくないようなニュアンスだったのですが、本人がどうしてもということで退院。具合はあまり良くないにしてもしっかり話せていましたし、いつものように口喧嘩も出来ていた。
 ただ、家にあるお稲荷さんの飾りをする時に、いつもならば指示だけではなく一緒にやる父だったにも関わらず、なんか雰囲気がおかしいなぁとは思っていたんですが、すぐに普通になったので気にしなかったんですけど、あの時に多分低血糖を起こしていたのかなと、今はちょっと悔やまれます。

 それでも、姉貴夫婦が正月に来てくれて凄い楽しいお正月を過ごせたそうです。僕は仕事だったので、次に会ったのが1月4日に入院した父の姿。相変わらず不満は言っていましたが、普通に話せていたので丈夫だろうと。
 しかし数値が良くならず、一旦集中治療室でしっかり治そうということで病室を変更。いつものように何かをすれば良くなっていくという状態ではなく、段々悪くなっていく一方でしたが、正月明けで仕事が立て込んでいたので、僕もちょっと顔を出す程度で過ごしていたんですが、1月25日に痰が詰まって18分間心停止。ちょうどレッスンをしている時に電話が掛かって来て、レッスンが終わり次第すぐに病院へ。
 なんとか蘇生はしていたのですが、この日から昏睡状態となり、担当医さんからは簡単に要約すると「どういう最期をご希望しますか」という選択をしなければいけない状況になりました。
 ここからは、回復することはなく、後は本人の生命力次第ですと言われ、毎日モニターの数字を見ては一喜一憂し、痰を吸いだしてもらう時の父の苦しそうな姿を見ているのが辛くて、父の容態を見守ると言っても連続10分は持たない。
 そして、ちょうど家族全員で病院に行った2月17日に待合室で口の周りを綺麗にしているのを待っていて、看護師さんが「ちょっと自発呼吸が少なくなって来ているんですよね」と伝えられ、病室に戻ったら数十秒後にモニターの数字が全て止まり、ペースメーカーだけが動いている状態で、苦しむ様子もなく眠るように最期を迎えました。

 覚悟をするには十分な時間を与えてくれた父でしたが、やはり目の前で現実になると今でも心の整理がつかない状態になります。然し乍ら、通夜や葬儀の手配やその他の手続きをしなければならない訳で、「泣いている場合ではない」という経験談を痛感しましたねぇ。葬儀から早3週間が経ちますが、まだ「もう父はいない」という実感はありません。
どういう風に例えたらいいんでしょうか、ずっと何をしていてもフワフワしている状態で、ある程度仕事脳には戻っているはずなのですが、一人で車を運転している時や部屋に一人でいる時にいつもと感覚が違う。
 病院に行けば、まだ父が生きているような気もするし、でも自分が施主となって父を送り出した記憶も残っている。どちらが現実なのかは当然わかっているんですが、それでも何か地に足がついていない状態なのかもしれません。

 でも今思っているのは、父が意見の相違が多かったとしても僕を好きなように生きさせてくれたから今の僕がある。
 本当に好き勝手に今まで過ごさせてくれたんだなと。そうでなければ、こんなに自分で納得出来る人生は送れていなかったと思います。父から出来る限り離れて一人前になろうとして、でも今考えると結局は父の手のひらの中だったんだなと痛感しています。もう降参です、僕が評価された企画やデザインやら、全部「父が支えてくれていた」から生まれたものだったんだなと。
 好き勝手出来る状況を与えてくれていたわけですからね。生前の父には絶対に言いたくない言葉ですけど、今なら仏壇に向かって素直に「本当に今までありがとう、やっと父の偉大さがわかったよ」と言えます。
 最期まで強くてかっこいい生き様見せてくれてありがとう。息子として誇らしい父でした。
 僕と父の関係は、これでよかったのかな。どうせまた、一緒のお墓に入ったら散々口喧嘩出来るしね(笑)。

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