Tony Kuo-Vol.79.2016.5-Top

Vol.79 Tony Kuo
台湾フェニックス

2016年5月

台湾ダーツの歴史について教えてください。
私は、今から13年前、2003年に台湾にソフトのマシンを初めて導入しました。その頃のダーツプレイヤーにとっては、ソフトダーツというのはまだまだ新しいものだったので、皆それがどんなものか知らなかったんです。
したがって、当然ソフトのプレイヤーも本当に少なかったんですよ。私が台湾にソフトダーツを持ち込む前は、台湾のダーツといえばバーやレストランでハードをプレイするくらいだったんですから。
あれから13年が過ぎましたが、私は台湾のソフト業界を盛り上げるために途方もない努力を重ねて来ました。リーグ戦や全国大会といったトーナメントも数多く主催しましたし、色々なビール会社と提携を結んだり、台湾の隅々まで出掛けて行ってソフトの普及と市場の拡大のために奮闘したんです。この長年の努力が実って、今や台湾のソフトのマシンやプレイヤー人口は当初の何千倍にも成長しました。

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ダーツビジネスに携わるようになったきっかけは?
私がダーツに関わる仕事をするようになったきっかけは、やはり個人的にダーツが大好きだからです。昔はよくプレイしました。それに私はウィスキーにはちょっとうるさくて、何軒も違った店で飲むのが好きなんです。そんなこんなで色々な店に通ううちに、ただ飲んでいるのも芸がなくてつまらないなと感じ始めました。
それで、そういう店にダーツマシンを置いたらもっと楽しくなるんじゃないかというアイデアが浮かんだんです。きっと大人気になるだろうなという予感はありましたね。

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貴社のプロフィールを教えてください。
私は今の会社を、2003年に台北で設立しました。弊社が台湾に最初のダーツマシンを入れたのですが、当時はアラクニッドのマシンで、台湾には私しかアラクニッドのエージェントはいなかったんです。台湾でのダーツマシン普及を速めるために、コロナ、カールスバーグ、バドワイザーと言った世界有数のビール会社とも提携を行いました。
2005年には台湾初のリーグ戦を台北でスタートし、同じ年に第一回の「台湾オープン」も開催しました。この「台湾オープン」は今でも毎年開催しており、これまでに多くのプレイヤーをスポンサードして世界中の大会に送り出しています。
2007年頃にはソフトダーツの地盤も固まり、台湾南部地域にはかなりの広がりを見せていました。
2009年になると、台湾のダーツマシン市場の90パーセントを弊社が独占するまでになり、2010年にはフェニックスを導入し、以来台湾唯一のフェニックスエージェントとして知られています。
2011年には台北市のスポーツ課とコラボして第7回の「台湾オープン」を、「台北ジムナジウム」にて開催。この大会には世界15カ国から選手を招待しました。2012年からは毎年マシンやグッズなどダーツ関連の用品を台湾の学校や団体等に寄付する活動も行っています。
2014年以降は、「フェニックスダーツショップ」というダーツグッズを扱うチェーン店を、台湾各地15ヶ所で26店舗展開しています。また、ハロウズ、プーマ・ダーツ、トリニダッド、ターゲット等多くのダーツブランドの台湾唯一の代理店としても活動しており、2016年現在、50人を超えるスタッフを抱え、1700台以上のダーツマシンを台湾各地に設置しています。台湾での弊社のソフトダーツ市場シェアは80%を超えています。

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第11回「台湾オープン」について教えてください。
昨年と比較しても今年の第11回「台湾オープン」は大成功だったと言えるでしょう。全てのイベントはスケジュール通り進み、進行もスムースでした。世界10カ国から選手が参戦してくれて、トータルの参加プレイヤーは1500人に上りました。
大会は3日間行われ、多くのメディアの注目を浴びました。政府関係者や市議会議員等の方にもおいでいただき、大会最終日のディナーパーティーでは、プレイヤーと共に大いに楽しんでいただきました。

確かにパーティーは凄かったですね。毎年あんなに盛り上がるのですか?
そうですね、今年のパーティーでは食事用のテーブルを75台用意しました。大体1テーブル10人用ですね。昨年は65台だったので、パーティーの参加者は今年の方がはるかに多くなっています。
今年のパーティーで、参加者の方々が消費したウィスキーが大体84本、ビールが2600缶です。みんなその量に驚いていましたが、本当に楽しんでくれたようで嬉しいです。

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アジアではダーツブームが来ていると思われますが、いかがですか?またダーツの未来は?
日本のダーツ市場はここ2年ほど落ち込んでいるようですね。一方、台湾、マレーシア、インドネシアといったその他のアジア地域ではダーツは成長を続けている市場です。日本と韓国を別にすれば、現在は台湾がアジア最大の市場に成長したと言えるでしょう。そして弊社はその台湾で、過去13年間国内最大のダーツマシン設置数を誇ってきたのです。
現在台湾には約2800台のマシンが設置されていますが、その内フェニックスのものは2200台です。したがって、弊社のシェアは80%ということになります。
私個人の見解としては、台湾やマレーシアのダーツ市場は、今後5年間にアジアの中でも、最も大きく成長する市場になると考えています。

今後の展望と将来の夢を教えてください。
過去5年間に私は台湾にフェニックスの王国を築いたと自負してます。また、私は台湾随一とも言えるダーツ用品のチェーン店を26店舗展開していますから、今後はこの店を2016年以内に30店舗に増やしたいですね。
更に、私は台湾唯一のダーツ協会である「台湾ダーツ協会」の会長ですので、これまでメディアや政府関連組織に対して、ダーツの振興を訴える活動も盛んに行って来ました。
今後は、ダーツがスポーツとして正式に認められることを願ってやみません。実際私達の活動はかなりの成果を上げて来ており、来年開催の第12回「台湾オープン」は、台北市との共同開催となることで、合意を得ています。 ダーツプレイヤーの皆さんが、正式に政府からの援助や表彰といったものを獲得できることも、夢物語ではなく近い将来実現可能な希望だと考えています。

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最後に読者の方々にメッセージをお願いします。
今後は、ダーツ経験の豊富な日本のプレイヤーの方々と、もっと交流が出来るようになると良いなと考えています。
5年前に台湾で開催された「第9回ADAツアー」では、当時星野選手をリーダーとした日本チームの働きもあり、5000USドルの寄付金を集めることに成功しました。そしてそのお金は、2011年の東北大震災被災者のための募金として、赤十字に寄付させて頂きました。
このことは、日本と台湾がこれまでに素晴らしい友情を培って来た証だと思っています。お互いから色々なことを学び合い、どちらにとっても実りある関係を、これからも長く続けていきたいと思っています。

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■ 大会の翌日に関係者で夕食を共にした。マレーシア、台湾、シンガポールなどで店舗展開やディーラー業している方々だ。ソフトダーツブームはアジアでとんでもないことになっている、とよく耳にするがそれが真実だということがよく理解できる晩餐となった。「今インドネシアで始めたんだ、予想以上に反響があって驚いているよ」などアジア各地の状況やこれから可能性のある地域など様々な情報をやりとりしていた。どんなビジネスでもそうだが、このような華僑たちの仕事に対する情熱には評価が高い。まず同じ言語でコミュニケーションが取ることができるのでお互いに簡単に信頼関係を築け、誤解も生まれにくい。そしてトップ同士が対話するので興味を感じた時には、決断が早い。日本人も学びたいカルチャーだ。また香港生まれカナダ育ち、マレーシアでしばらく住んでから、現在は台湾在住などとても国際的な感覚を身につけている。お互い飛行機だと1、2時間なのだから外国とは感じないのかもしれない。日本はソフトダーツ大国に成長したが、きっとアジア各国も確実に成長していくことだろう。