2004年11月号
ダーツの親善大使の称号を与えられ、世界のプロプレイヤーの誰もが尊敬したプロ中のプロ…
最近はダーツトーナメントを開催するとマナー問題などでトラブルも多いと聞く。それではぜひ、この人物にダーツの心得、礼儀について語っていただこうと電話をすると家族の方から突然の悲報を聞くことになった。
ダーツ界にとってかけがえのない人物を失っただけに、あらためてそのことを伝えたい。
バリー氏と会ったのは2003年1月26日、午後1時頃、英国ロンドンより汽車で約2時間の旅、チェスターフィールド駅のプラットホーム。前日に電話で迎えに来てくれるという約束通り、列車が着くと、その長身の男は優しい笑顔で「英国のダーツ旅はどうだい、なかなかたいへんだろう」と語り始めた。そして、自分の愛する故郷について、ダーツの歴史について、昔または今のダーツプレイヤーの話などそれ以降3日間を一緒に過ごしたのだが、会話の内容と彼の人柄が重なり、その記憶は忘れがたい。その後、数回電話では話したが、その撮影が最後となってしまった。
2日目にジョン・ロー氏とパブで数時間を過ごし、3日目はフィル・テイラー氏の自宅を一緒に訪ねた。二人の世界チャンピオンともバリー氏にはタジタジ。「ジョン、最近酒を飲む量が減ってきてるけど、おまえも年には勝てないな」「フィル、ダーツの仕事が忙しすぎてちっとも遊んでくれないって息子が嘆いているぞ」なんて調子。なんでもズケズケと言ってのける彼を笑ってみんなが受け止める。それもその筈、ダーツ界をあらゆる意味で切り開いてきたのが、このバリー・トゥモロー氏なのだから。そしていろいろ経験してきた人生を無駄にせず彼らに伝え、公私にわたって諭す役目ができるのはダーツ界では彼しかいないことを誰もが認めていたから。
「おまえらダーツの賞金が上がって、それで飯が食えるからって、自分が他の世界的スポーツのプレイヤーと肩を並べたなんて思うなよ。しょせん俺達はワーキングクラス、その意味においては何の変わりもない。この国においてサーなんて称号がつくことなんてない。でも、だからこそ真剣に取り組め!また紳士でいろ。スポーツとしてダーツやるんだろう?パブで飲んだくれて、ギャンブルに明け暮れるダーツの時代はもう終わりにしたいだろう?ダーツの優勝トロフィーもらったら公私ともにシャキッとしろ」。
以前ポール・リム氏も、「人生の成功者ではなかったけれど、ダーツを楽しんだ成功者として人生に悔いはない」と言い残したバリー氏を最も尊敬するダーツプレイヤーと言っていた。
心よりご冥福をお祈りいたします。