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Vol.41 小田川 克己
いつもダーツ界の真ん中に位置する人物

2010年1月

まず最初に、ダーツ業界に関わったいきさつを教えてください。
当時、僕は渋谷のsoul(s)によく行ってたんですが、その頃はホーム意識というのがすごく強かったじゃないですか。トーナメントに出場するとなると自分のホームのTシャツをみんなで着て「俺たちはここで投げてるんだぞ!」というのを強くアピールしたりして。今はそういう意識もだいぶ稀薄になってきたんですけど、その時代は「うちはここじゃ!」みたいなノリがとにかく強かったんですよ。
で、soul(s)でハウストーナメントをやるという話があった時に、僕がデザインの仕事をしてたので、どうせ着るならもう少しカッコ良くしていい?とTシャツのデザインをしたんです。それからsoul(s)のデザイン系などを手伝うようになったんですけど、そのうちに社長から「ダーツショップを開きたいので手伝ってもらえないか」と言われたんです。
その頃から僕は既に『用具オタク』で、世界中のオンラインサイトから気に入ったものを探しては、例えばバレルを何十セットも取り寄せてグラムを合わせて使ってみたりしてたんです。それで、僕ならいろいろグッズのことを知ってるので、出資はするから仕入れなどについていろいろアドバイスをしてくれないかというオファーがあったんですけど、僕はそれはやらないですと言いました。
理由としてはいずれもっとブームになってきた時に、あきらかに価格の叩き合いになるだろうから、それが嫌だったんです。例えば最初はユニコーンを1万五千円で売ってたとしても、5店舗できれば他の店と競合するために金額を落とそうと考えるわけですよね。それだとダーツショップの老舗にはなるかもしれないけど最終的には何も残らない。どうせやるなら後までピシッと残っていくものをと考えたら、それならいっそバレルを作っちゃった方が早いんじゃないかと思ったんです。
当時からDMCはもちろん開発してましたが、DMCが世に出る前から僕の周りには大輔もいたしジョニーもいたんです。それで、彼等が使ってる『ナントカモデル』っていうのがあったら絶対売れるよなって思ったんですよ。確かにジョニーが使ってるモデルはどれもなんとなく似てて、僕はグッズマニアだったんでジョニーはこういうのが好きなんだろうな、みたいなのがわかったんですよね。
ホントに運転中に突然「安食賢一モデルとかあったら売れるだろうな」なんて思いついたんです。それで、ショップの資金は○○万円くらいと言っていたので「○○万円今すぐ僕にください。サラリーに関しては一切いらないので、○○万円くれたら僕がブランドを作りますよ」と提案したら、「そうですか、じゃあ克己さんお願いします」と、一週間後に○○万円ポンと出してくれたんですよ。その時は、度胸あるなぁ、と思いましたよ(笑)。
さぁやってみようと動き出したんですが、まずはタングステンをどこで仕入れるんだとか、そこからでしたね。
デザインに関しては、僕がCGデザイン会社をやってたのでそれが役に立ちました。当時はOPECの産油輸出国のデータなども扱っていて、例えば東京湾に重油が流れたらどういうふうに流れるかというプログラムを組んだり、単純な空力計算をするためのソフトを持ってたんです。
それでジョン・ローやフィル・テイラーのバレルを3Dで実際に作って、投げる形とダーツバーにありがちな空調や空気の流れなどを設定して、空力計算を始めたんですが、さすがにここまでやれば飛ぶだろうと、いいバレルができるだろうとは思いましたね。
トリニティというブランドは当然最初は全く知られてないわけなんですけど、時間をかけて徐々に立ち上げていこうと思いました。これはもともと他の業界でブランディングなどの経験があったのが役立ちましたね。
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ではまずはトリニティを始められたわけですね。そしてアストラですか?
トリニティの後にburn.ですね、それからアストラです。トリニティを作った頃によくみんなで集まってて「岡山の○○は強いよね」とか「北海道の○○も強いよね」なんて話をしてたんですが、「実は一体誰が一番強いの?」とふと疑問が沸いたんです。でもその頃は全国大会なども無いし、各地のプレイヤーが集まる機会というのはそんなに無かったので、「じゃあ俺がみんなの旅費出すから誰が一番強いのかやってみてよ」というのがburn.のきっかけですね。
もともとその一年前からburn.というシングルスのハウストーナメントはあったんです。その時は4回目くらいでしたが、それこそあのsoul(s)に140人ものエントリーがあるほどのトーナメントになってて、次はいよいよ広い会場を借りてやろうみたいな雰囲気があったんですが、僕はあまのじゃくなんで「だったら10人に減らしてやろう」と思ったんです。本当は8人にしたかったんですが、どうしてもはずせないプレイヤーもいて、結局10人になったんですよね。とにかく、次は200人だ300人だと言われるのを、あえて10人にぎゅっと絞ったわけです。本当に強いやつは誰なのかを決めたかったんですね。
その頃から自分の構想の中には『全国トーナメント』という考えがありました。それはburn.という冠で、全国のダーツバーにある程度のお金を落としたかったんです。その頃burn.は運営費で微々たるお金をいただいてただけですが、burn.を目指す全国のプレイヤーによって、インカムなりドリンク代で各地のダーツバーにお金を落とすことが出来れば、この大会に対してサポーターがつくだろうと考えたんです。それにはまずburn.という大会を全国に認知させないといけない。いくら都内で140人も集まってる人気の大会ですよと言ったところでわからないですよね。だったら頂点はここだよというのを見せようとDVDを作ることにしたんです。まず結果を見せて、ここまで上がりたければ全国トーナメントをやりましょうというのを示したんです。
そして翌年には、全国ネットで一気に広がったというわけですね。
そうですね。ただ、一回だけの10人だけのDVDだと印象が弱かったんで、burn.の考え方では異例なんですが、そのすぐ5ヵ月後にダブルインパクトというダブルス戦もやりました。そこで何を確定付けたかったのかと言うと、ただの『ダーツの上手い兄ちゃん』から『トッププレイヤー』というものを作り上げたかったんです。「どこそこのあいつ上手いよね」じゃなくて「あの人はトッププレイヤーだよね」という言葉にしたかった、そして『burn.プレイヤー』という言葉を認知させたかったんです。2005年に全国大会を開催したんですが、そのために2004年のうちにDVDを二つ出しておきたかったんです。そのDVDではあたりまえのシングルスとダブルスをセッティングしたんですが、運がいいことにそれが全国に広まったんです。もともとburn.というのは、インビテーショナルという名前が付いてたので、みんな2005年も当然インビテーショナルだろうと思ってたはずなんですが、それを「誰でも出られる」ということを、全国のプレイヤーにわかってもらいたかったんですよね。
そして次の大きな動きとしてKDP.を始められましたが、それについてのいきさつなどをお聞かせください。
僕は他のスポーツの理論にも興味があったので、それをダーツに取り入れたっていうのが単純にKDP.なんです。他のスポーツってすごい理論がいっぱいあるじゃないですか、そういうのをダーツに転換したらどうなんだと、周りのプレイヤーに教えてみたのが始まりですね。でも、もともとKDP.という形でやるつもりはなかったんです。
2005年のburn.が終わって、そろそろ2006年の企画を考え始めた頃、ちょうどダーツマシンの新機種が続々発売されて、僕の回りでも「あのマシーンは脅威だ」という雰囲気が伝わってたんですが、そんな頃だったので、2006年のburn.について問題が持ち上がったんです。
それは2005年度でシード権を持ってる数人の選手がいたんですが、この数人を出すなと、グループ同士でケンカしてるんだから出しちゃだめだという話になったんです。でも、それは絶対にできないことなんですよ。百歩譲って、ショートスパンで切るんだったらまだわかるけど、burn.は年間プログラムで、ジャパンツアーでこれだけ全国規模で開催をうたってるわけです。だから「どんなにへりくつを並べてもポリシーに反するのでこのシードは外せない。あくまでも選手は選手なので、申し訳ないけど誰に言われてもシード権を外すことはできないです」と言う話をしたら、いろいろな方に「克己ちゃん、それだと業界を敵に回すよ」…と。
「わかりました、それならburn.はやらないです。僕は別にやらなくてもいいから」と、今年はもうやらないと、やめる宣言をしちゃったんですよ。選手をそういう中に巻き込むのが許せなかったんで「もうやめた!」と。
で、やることがなくなっちゃったんですよね。バレルもトリプレイトの年間ラインナップがもう出ちゃったし「やることないなぁ」って思って、「じゃあ人に教えようかな」と考えたんです。それは今の選手たちに教えてる、なんとなく一つの理論なんですが、そういうのに少し興味をもってやってもらったらどうかなと始めたんです。
教えようと思った理由には、バレルを作るための情報やノウハウを集める目的もありました。今まで作ってたバレルはひとつの手形を基にしてたわけで、例えばジョニーだったらジョニーの手に合うバレルを作ってたじゃないですか。じゃあ僕の作るバレルは万人には難しいのかなと考えた時に、いろんな手形やフォーム、グリップなどあきらかに情報が少なすぎると思ったんです。なので、様々な人に教えていく中で、いろいろなくせや投げ方を知ることも必要だと思いました。
もうひとつは、だんだんブームになって盛り上がってきた時に「ダーツが入らなくてやめようと思います」みたいな日記がいくつか目に付いたんですよ。それがすごく寂しいなと思って……。そんなのはちょっとしたきっかけや考え方で治るはずなのに、近くにそんな簡単なアドバイスをしてくれる人はいないのかなと、だったら自分が発信することで何かきっかけになってくれればいいのかなと思ったんです。特にその頃はいろんなプレイヤーから話が聞ける状況だったんで、それを伝えればいいのかなと思ったのもきっかけなんですよ。
それがいつの間にかこっち来てください、あっち来てくださいという感じに広まったんですよね。今でも僕は料金はいただいてないんですけど、これは僕の経験を積んでいくためのものなのであたりまえですね。
トッププレイヤーは投げてパフォーマンスできるけど、僕はしゃべって別にパフォーマンスできるわけじゃないので、それでギャラをもらおうなんておこがましいことだと思ってます(笑)。それが良かったんじゃないですかね。

今までに何カ所くらい行かれたのですか?
はっきりとはわからないですが、100カ所は行ってますね。来た人数は適当に何人かを見てるんですけど、たぶん8000人は超えてるんじゃないでしょうか。ただリピーターも多いですけどね。
一度府中のお店で教えてらっしゃるところを拝見したことがありますね。
あれは個人フォームチェックでしたね。基本的に僕は絶対ダメって言わないんです。そもそも真っ直ぐ引いて真っ直ぐ出すっていうのは、100人に1人できるかどうかなんですよ。簡単そうに言うけど誰でもできることじゃないんです。だからその人なりの投げ方を基本に、選択肢を与えてあげるようにしてるんです。これだったらこっちの方がいいかもしれないよね、という具合ですね。要は、これはこうじゃなきゃいけないと言うとみんなすごく頭が固くなるので、別にこれでもいいんだよ、でもこういうフォームだったらもうちょっとこうしたらもっと良くなるよね、と。こうじゃなければならないという理論じゃなくて、選択肢を増やすための理論を作ってるんです。

今までなさってきたお仕事の中で思い出深いものは何でしょうか?
思い出深いのはoneとburn.の再開する時ですかね。
oneの場合は5社が集まって「大会やろう。プロデューサーはお前」みたいな感じでいきなり選ばれたんですよ。あの時はさすが5社合同ということで、二日間合わせて6000人くらい集まったんですよ。確か二日目が3700人くらいで、たぶん一日の参加人数でいえば、まだ記録は抜かれてないんじゃないでしょうか。しかし5社集まってますからね、いろいろあるじゃないですか、ボードの問題とか。そんな中で僕は中心に立たないとならなかったので、あっちにもこっちにもとフラフラになっちゃいました。だけどそういうのは絶対参加者に見せちゃいけないわけで、本当にかなり気を使いましたよ。
さらに、いろんな問題によって生まれる進行の遅れなどがあると、参加者は主催者じゃなくて「KTM.なんなんだよ」って……。言い方を変えれば6000対1なんですよね、もう神経使いまくっちゃって、ボロボロになりました。その時僕7年間毎日やってたブログを2週間やめたんです、心が壊れて。で、oneが終わった次の日に一週間上海に逃げたんですよ。あの時はもう何もしたくなかったですね(笑)。
もうひとつは2007年のburn.です。結局はやってくれということで、またやることになったんですが、今度はユニフォーム制限がかかったんですよ。「○○選手は全部黒で出せ」と、「ユニフォームは着させるな、シャフトもフライトもダメだ」と。思わず「何で?」って聞いたら、「勝ったらどうするんだ」という話になったんですよ。それでまた僕はカチンときちゃって「申し訳ないけど、うちは少なくとも○○選手に負ける選手と契約してないから、出てくるなら出てこいという姿勢でいきますが、あなたたちは自分たちの選手が信じられないんですか?」と言い返してしまいました。そしたら「そんなこと言っても勝負のことはわからない。これでもし○○選手に勝たれちゃったらburn.というDVDは競争相手のいいプロモーションビデオになってしまう。それに関して協力できるわけがない」ということなんですね。その時は体調が悪いのもあってとりあえず保留ということになったんですが、その話がたまたま別件で隣の部屋にいたジョニーに聞こえてたんですね。
次の日ジョニーから電話があって、「競争相手の選手はみんな僕に対戦させてください。デキレースでもなんでもいいから全部僕に当ててください。僕そんなに弱くないですから」って言ったんですよ。僕は感動してしまいましたね。ジョニーはそのことをタローにも話したらしいんですけど、そうしたらタローと会った時開口一番「克己さん、○○選手の試合、全部俺に当ててください」と。その時、二人がここまで考えてくれてるんだったら、ある程度の条件を飲んでやろうと思ったんです。
僕が出した唯一の条件は、ユニフォーム制限などは飲むから、ただそれはKTM.が言ってることではないということをはっきり明記してほしいということでした。僕はいまだに競争相手だって出場していいと思ってるわけで、だけどルールブックを書いてしまったらイコールこれはKTM.の意向だと思われるじゃないですか。それは僕は嫌ですと言ったんです。
こんなふうにいろいろあったんですが、結局2007年のburn.ではジョニーとタローが決勝に残りました。決勝前に二人と話した時に「だから言ったでしょ、俺らが全部倒すって」そう言って舞台に上がって行ったんです。カッコいいなぁと本当に感動しましたよ。この時の試合は僕はあえて見ませんでした。その場で見たらどっちが勝っても絶対泣いちゃって、これは進行にならないなと思いましたから……。

最近のソフトダーツ界の状況についてはどのように思われてますか?
今まで紆余曲折がありながらも、各立場の方々が頑張ってきた結果が現在につながっていると思います。評価されるべきところも沢山あるのですが、僕がちょっと怖いなと思うのは、ダーツマシーンさえ置けば経営が成り立つ、みたいな考えのダーツバーが増えていることです。これは最近僕がKDP.などで各地のダーツバーを見てきた印象なのですが、そういう店が少ないパイを食い合いしてるんですよね。最近ダーツブームが去ってダーツバーがつぶれ始めてるというような話になるんですけど、これは逆に言えばブームの時にダーツボードに頼りすぎた店が増えすぎてた訳で、これは単純な自然淘汰、要は勝ち組と負け組がはっきりし始めたという状態なわけですよね。でもつぶれたというのは最も悪い印象で伝わるじゃないですか。
ダーツプレイヤーを増やすため、ダーツを普及するために、とか言う割には、意外と店員さんや店の資質などが「本当にプレイヤーを増やそうと思ってるの?」みたいな印象の店が多いんですよね。例えば、初めて来たお客さんをやさしく丁重に扱ってこそダーツプレイヤーが増えるのに、必ずしもそういう態度で接していない。ホーム意識が希薄になってきたというのはまさにそこだと思うんですよ。
お金をかけないでダーツが投げられる店が増えたというのもあるかもしれないけど、でも丁寧に教えてもらったりとか、そこに行けば上達するんだよというのがあれば、やっぱりその店に行くと思うんですよね。現にそういう店はまだいっぱいあるわけです。
それなのにダーツがどうだとかインカムがどうだとかいうことに着目しすぎてしまって、ダーツバーとしてやるべきことをやってない店が多すぎるんです。で、今度はボードに頼る。新しいボードを出してくれ、こういう機能があるといいんだとか、そんなことばかりを追ってる気がするんですよね。
ただのゲーム感覚でダーツに接するというのも、もっともっと裾野を広げるためにはもちろんありだと思うんですよ。でもそれだとそれこそ早くブームが終わっちゃうと思います。それを避けるためにもダーツバーだけでなく、ディーラーさんにしてもそうだしインストラクターもショップも、もう少しちゃんと考えないとまずいぞと、今すごく思ってますね。

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原点に帰るということですね。
そうですね。僕はたまにロゴで「BACK TO HOUSE」というのを使うんですけど、これは「ハウスに戻そう」という意味なんですよね。でっかいトーナメントをたくさんうわぁーっとやってれば、みんなそれに行くだけでお金がいっぱいになっちゃって、普段のダーツバーやホームに使うお金が減っていく。そうじゃなくてやっぱり基本となるのはハウスなりダーツバーなんだから、そこにお金が落ちなくてどうするって思うんです。そのへんをもっと考えていかないと危険ですね。例えば今のボード戦争だったりトーナメントのプログラム戦争だったりのレベルではないと思うんですよ。一回みんな集まって考えようと、そもそもそこじゃないよなと……。
それがしっかりしてさえいればプログラムはいっぱいあればあったほうがいいんですよ。それをチョイスするのはプレイヤーの自由だし、様々なニーズに応えられることも重要ですからね。ただあまりにもそういうものに目がいきすぎちゃってて、基本となるものを忘れてしまってるというのが今のダーツの現状ではないでしょうか。で、これから一体どうなるのかなと考えたら、ものすごく心配ですよね。と言いながらもこれは結局はburn.がきっかけなんですよね。全国トーナメントを開催したりと、きっかけを作っちゃった本人としてはものすごくまずいなと思ってるんですけど、本来僕が意図してるところはそこじゃなかったわけですから。
もっと各分野が落ち着いてバランスよく連携して話し合ってほしいですね。企業努力の営業戦争はもちろんありです。他の業界でもそうじゃないですか、営業の面ではケンカしてても統一の協会っていうのがあるわけじゃないですか。右手でけんかして殴り合っててもいいんですよ、ただ左手は握手してないと結局迷惑をかけるのはエンドユーザーになってしまう。今は両手でケンカしちゃってるようなものだから、そのうち自分たちのビジネスの崩壊というのも出てくるだろうし、僕はそこがすごく心配ですよね。
なんで日本で、こんな小さい島国でケンカしてるの?と僕はそれが不思議でしようがないですね。今ならビジネスチャンスって海外にもあるでしょう。特に日本の製品は素晴らしいと海外にも言われてきてるんだから、なんで海外対応しないのかなと思うんですよ。シェア率の問題とか、そんな話してるんだったら、じゃあもっと世界を見てみたらと、僕はものすごく思いますよね。PDCに対抗しようまでは言いませんが、日本の企画で海外でトーナメントを開いてみたり、今手を組まなくてはならない状態だと思うんです。ボードにお金が入る限りは絶対にビジネス戦争が起こる。これは仕方ないことです。でも戦争になるフィールドは分かってて、ある部分は握手しておかないとダメなんじゃないかなと思うんですけどね。

これからやってみたいことや夢などはありますか?
僕が考える中で、ダーツでやってみたいことはある程度やり尽くしてきましたね。グッズも作ったし大会もやったしハウスもやったし。カルチャーという部分ではKDP.もそうですよね。強いて言えば僕の考える本当の大会をやりたい。そのロジックももう見えてきてるんですけど、老人ホームリーグをやりたいんですよ。
例えばA養老院対B養老院で2週間に1回リーグ戦とか、超熱くないですか?究極のリーグだと思うんですよね。ダーツは身体のエクササイズにもなるし、何かで見たんですけど脳の前頭葉ナントカの活性化にもなるらしいんですよ。動いて集中して計算するっていうのでボケ防止になるらしいです。例えばおじいちゃんとかおばあちゃんが「今日息子がジョニーのタイプ4.5持ってきてくれたんだよね」みたいなこと言ってくれたらおもしろいだろうと思いますよ。「そんなのダメだよ、俺ら力が無いんだからアキュートとかの方がいいんだよ」とかね。

まったく違うマーケットにダーツを広めていきたいということもあるのでしょうか?
そうですね、それもあるでしょうね。今のダーツ業界のシステムを、上手く他の部位にはめ込むという意味では、ものすごく簡単ですぐにでもできることだと思うんです。よくアンダーナインティーンとか言うじゃないですか。それはそれでみんなが考え付くこと、ジュニアを育てようとかそういうのは他の方々にお任せして、僕がやりたいのはおじいちゃんおばあちゃんに広めるということですね。

それがもし成功したら風俗機からはずれるかもしれませんね。
ホントにそうだと思うんですよね。僕は今の業界に割って入って「いやそうじゃないこうじゃない」と言うつもりはないんですよ。自分で考えて、例えば風俗機をはずれるのはこれだろうなというプログラムをやればいいだけですね。それをやればたぶん国が動いてくれるようなことなんで、それに協力してくれるメーカーなりはこれから徐々に打診していこうかなと思ってます。
今はプレイヤーの最高年齢は50代くらいですが、それをさらに上げていかないと。今の高齢者は元気ですからね。下は他におまかせして、僕はおじいちゃんおばあちゃんの相手をしながら広められればいいかなと、それが本当のKDP.の意味かなと思いますね。「だめだよおじいちゃん、そんなことやっちゃ」みたいな、そんなのが自分にとってダーツをやってて一番楽しい瞬間になるんじゃないかと思うんですけどね。
全国のダーツプレイヤーに伝えたいことはありますか?
ダーツをやめないでほしいですね。うまくなってくださいというのは個人の資質によるものなので、とにかくやめないでくださいと言いたいです。もしやめたくなったら相談に来いと、KDP.に来てくださいと言いたいです。

過去3年間でやめてしまった人がもし半分くらいだったら、今はもっと盛り上がってるわけですからね。
本当にそうですよ。だから、どれだけそのやめていく人をケアしていかなかったかということなんですから。言い換えればそれはカルチャーが成り立っていないということなんですよね。例えばダーツが他の習い事のように定着していればやめる人も少ないでしょう。この業界がカルチャーとして成熟していないという表れですよね。

長らくブログを書かれてるということですが、何を大事にして書かれていますか?
意地です。僕は別に毎日毎日格言と言うか、自分の考えを押し付けるつもりはさらさらないんです。そんなの僕も疲れちゃうし。ただ毎日書くことによって、何かのきっかけになってくれたらいいのかなと思って続けています。

アクセス数はいかがですか?
一日平均で一万くらいですね。駄文ばかりで、書いている方が申し訳なく思っちゃうんですけど(笑)。たぶん相当コアな人なんでしょうね。
僕は実は作家になりたかったんですよ、だからその文章の練習のために始めたようなところもあるんです。それがなんか意地でもうやめられない、挙句の果てにエスダーツに行っちゃったもんだから余計にやめられないという状況です。
僕はいままでどこかに所属してることが多かったわけじゃないですか。でもそんなことは関係なく、例えばこのグッズはいいよとか、この大会は悪かった、これはすごかった、よく考えられてるとか、そういうことを言いたいんですよね。それはもう業界の立場とは別に、純粋にダーツに対してのポリシーを貫き通したいんです。僕はもしかしたらプライベートでは嘘つくことがあったとしても、仕事では嘘をつきたくないんですよ。

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