Kenichi Ajiki-安食 賢一-2-Top

Vol.23 安食 賢一
J-STUDIOスタート

2007年1月号


ジョニーにはvol.4のゲストプレイヤーでインタビューをお願いしましたが、それ以降の活躍も素晴らしかったですね。最近は特に落ち着かれてきたように見受けられますが、3〜4年前から比べて自身の気持ちの移り変わりはありましたか?
ダーツを始めた当初は、ただガムシャラに自分のことだけ考えて、ひたすら上手くなりたいだけでした。でもプレイヤーとして年を重ねるたびに、自分だけで楽しむだけではなくて、人に教える立場になったり人に見られる立場になったりして、自然と物事に対して色々と考えるようになりました。最近は、特に「Burn」が始まってから意識的なことが変わってきたようです。特に人に見られていることを意識するようにしています、でもお酒が入っちゃうとわかんないですね…(笑)以前は会場でサインを頼まれたりすると照れくさい感じがしましたが、今は慣れもあると思いますが、自然に対応できるようになってきました。でも、まだ恥ずかしいな…

アメリカ・シアトル(ソフトダーツ)のリーグ戦に半年間挑戦しましたが、アメリカと日本の違いに思うことはありましたか?
まずアメリカに挑戦しようと考えたきっかけは、自身が上手くなりたかったことです。実際にリーグ戦で投げ始めた頃アメリカ人の印象は、「日本人もダーツ投げるのか?」「お前は日本でどの位のプレイヤーなのか?」と色々聞かれて、自身=日本のプレイヤーとして思われるのかと感じ、自分だけが上手く投げることが出来れば良いという考え方から変わってきました。当時は英語もあまり喋ることが出来なくて、アメリカでの友人がいるわけでもない状態でしたから、途中で挫折して日本に戻ってくることも何度か頭をよぎりました。でも応援メールを貰ったり、日本で結果を気にしたりしてくれていることを知り、日本の看板を背負っていることを自覚しました。
途中でシアトルでのリーグ戦がお休みの期間に、何度か日本に戻ってきて試合に出場したことがありましたが、しばらく日本を留守にしている間にも他のプレイヤーも技術が上達していることを目の当たりにし、自分もアメリカで頑張らなければという思いを再認識しました。

アメリカ(シアトル)と日本のレベルの差はどのように感じましたか?
リーグ戦に入っているアメリカ人が、メダリストのレイティングで最高で16のプレイヤーが3人いました。その頃の自分が13〜14程度で、最終的にリーグ戦終了後には15まで上がっていました。

アメリカのダーツと日本のダーツの違いは?
日本では、自分の腕前を上げる、レベルUPすることだけを目的としているプレイヤーが多いと感じましたが、アメリカでは8対2位の割合でダーツを楽しんでいるプレイヤーが多いことに驚きました。「ダーツ歴10年で私レイティング3よ!」なんて全然恥ずかしがらず話しているオバちゃんもいました。

日本でも最近ではダーツ人口も増えて、ダーツを楽しむ傾向が増えてきているとは思いますが、僕も教える機会があれば「楽しく!楽しまなきゃ上達しないよ」と伝えるようにしています。

他には、やはりダーツに対しての歴史の違いがあります。リーグ戦の規模も日本と比べてケタ違い、100チームあるお店がありました。お店とプレイヤーのコミュニケーションが凄くよく取れている感想を持ちました。この部分は日本でも是非とも見習わなければならないと感じました。

ソフトダーツが日本で始まって4〜5年になりましたが、トーナメントでは殆どの決勝に進出されていて感心します。精神的、技術的な面で特別なことはありますか?
…まぁ…運かな(笑)運も要素の一つだと思いますが、それに合わせて体調管理も必要だと意識しています。現在、日本のトップレベルのプレイヤーは技術的には横一線にあると思います。好成績を左右する要因は、その日の調子つまり体調管理が重要になっていると感じています。僕はトーナメントに入る前は、いつも同じ習慣(リズム)で生活を行うようにしています。自分自身のルーティンをもっていると、試合での成績も安定してくると思います。

運+体調管理+意地(若いプレイヤーには負けたくない)が必要です。また、自分の名前が刻まれたダーツモデルが販売されていますが、それを購入してくれているプレイヤーの為にも、あまり無意味なダーツをしないように心がけています。

練習方法、練習時間はどのようにされていますか?
以前に比べるとかなり練習量は減りました。年齢もあるとは思いますが、あまり投げすぎると肘に故障が出てしまうので、集中して投げるのは一日一時間程度に抑えています。地方のイベント等でお客さんやお店のスタッフと投げる機会も練習の一つになっていると思います。招待されて一緒に投げるのに、下手なダーツは出来ませんよ。調子の良い時にはひたすら投げて、身体に覚えこませておくのも必要です。

ダーツにもスタンスやグリップなど色々注意する点があると思いますが、ジョニーが一番気にしている点はどこになりますか?
僕が一番気をつけて意識しているところはテイクバックの早さと収まる位置です。テイクバックで引き切った時の位置がバラバラだとリリースのポイントが一定しない。リリースのポイントと早さは体が覚えているので、テイクバックが浅いとリリースポイントが下に下がってしまうんです。テイクバックをきちんと引けていれば狙った所に入ると思います。だから僕は、ダーツが同じ所に引けるように重点的に一時間程度練習したりしています。他にも注意する点はたくさんありますが、なかなか考えたところで修正できない、テイクバックの収まる位置は確実に調整できる箇所なのです。

今後始められるビジネス(動画配信)について説明してください。
これまで働いていた会社の社長が、ダーツだけを仕事として僕をここまで雇用してくれました。最近では同じようにダーツを仕事として活躍するプレイヤーも増えてきて、社長がもう一段階上のレベルでダーツをビジネスとして捉える場を与えてくれました。これからのダーツプレイヤーのビジネスモデルとして、ダーツプレイヤーを長く勤めた人のその後のモデルとして成功していきたいです。コンセプトとして、当然やるからには良いものを作り出していきたい。ダーツの大会を配信することを第一と考えていますが、プレイヤーの裏側や、素顔の部分も表現していきたいと思っています。

会社の営業内容はWEBサイトから動画を発信されるわけですね。
そうですね。トーナメントの試合撮影を主体に、トーナメント自体の撮影、出場するプレイヤー等を撮影して総合的にダーツをメディアとしてWEB発信していこうと考えています。特にメジャーなスポーツでなくて、マイナー、コア的なスポーツに注目してダーツと一緒に盛り上げていきたいと考えています。フットサルやRCのような趣味的な要素を持つような競技にも着目していくつもりです。心から楽しんでもらえるようなサイト作りを考えています。

ハードダーツも最近は投げているようですが?
友人にTDOのリーグに誘われ、経験も少ないので躊躇しましたが、結局リーグに入れてもらうことが出来ました。このリーグではチームで戦い、ソフトダーツでの個人戦やダブルス戦とは違う意味での緊張感に面白さを覚え、ハードプレイヤーと接点を持ったことがきっかけで、海外での試合にも参加することになり、ワールドカップへも同行し、思いもよらずワールドカップ前日のオープン戦で何度も勝利して、本線一歩手前まで勝ち進みました。勝てるとは思ってもいなかったので、服装もジーンズしか用意していない状況でした。実はあの時何度か試合に勝てた本当の理由は…「チョーカーをやりたくなかった」からなのです。試合に負けると必然的に次の試合の「チョーカー」をするのがルールなんですが、計算出来ないからどうしてもやりたくなかったんです。(笑)

ジョニーから見てソフトとハードの違いはどう思いますか?
僕はハードとソフトは全く違うダーツだと思って投げています。当然ボードまでの距離も違いますし、使っているダーツの重さも違います。以前は同じような感覚を持とうと、それぞれのダーツの重さを近づけたりして試行錯誤を繰り返した時期もありましたが、やはりどうしてもこの違いは克服出来ないので、全く別物として考えるようになりました。敢えて共通点を挙げるとすれば、勝ち負けがあることや、試合の流れや緊張感は同じだと感じています。

ソフトとハード両方プレイすることは技術が上達する上で良いことだと思います。ソフトは狙ったところに入りやすいので、相手との駆け引きでのプレッシャーなどメンタル面が鍛えられ、ハードでは的が小さいですから丁寧に投げることでのテクニカルな面が要求されます。両方を競技することでそれぞれ必要な点を学び、レベルアップすることが出来ると思います。
個人として考えると「趣味がハード」「ソフトが仕事」として意識しています。試合に対しての意気込みはソフトの方が強いですね。

今後プレイヤーとして、また将来の展望は?
プレイヤーとしては、あと2~3年は競技し、海外での試合を目標に頑張っていきたいです。その後は、ダーツ界の一員として選手から一歩下がった位置で、若い選手を海外の試合に連れて行けるシステムや環境を作りたいと考えています。ワーキングホリデーを使って海外留学して、リーグに参加できる方法等手助けしたいですね。僕自身もアメリカに渡ってリーグ戦を戦った経験が大きく今に生きていると思います。やはりレベルの高い位置で戦うことは非常に良い経験になると思います。

特別に思い出に残っている試合は?
先ず思い出すのは、以前開催されていた六本木トーナメントで優勝出来たことですね。出場した強豪ぞろいのメンバーの中で優勝出来たのはかなり嬉しかった。優勝して飛び跳ねて喜びました。その後アメリカに渡ってAAAの試合で優勝したことも思い出深いです。その時は優勝して初めて泣きました。その他九州ハイネケンでの優勝、D1革命で池袋・仙台・広島三大会での優勝、アメリカ・シカゴでの2年連続しての4位入賞したことは自分でも価値があったと思いますし、一番思い出に残っています。この大会は優勝者がジョン・パートで、2位がダリン・ヤング、3位がスコットとそうそうたるメンバーで、その次に自分の名前があることに感動しました。次に出る機会があれば3位を狙いますよ。

読者にメッセージを
ダーツを楽しんでください。ダーツは遊びの時間なので、あまり悩んだりイライラしたりすることは、もの凄く時間の無駄だと思うのでやめて欲しいです。雑誌のタイトルの「Darts Life」を楽しんでください。イライラするのは試合だけで…ダーツバーでは楽しく…

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