2004年9月号
ダーツの歴史は文化学
最近人気急上昇とはいえ、日本人にとってはまだまだ新しいスポーツであるダーツ。だが世界的に見れば、ダーツ人口は2000万人ともいわれ、古くから多くの人々に愛されてきたスポーツなのだ。その歴史もたいへん古く、起源にいたっては諸説入り乱れ、それだけで一つの文化学のようになってしまう。アフリカで始まったという人もいれば、やっぱり本場の英国がルーツだという説もある。オリンピックも開催されるこの夏、ダーツの起源と歴史を考えてみるのも一興だろう。
最も信頼できる説によれば、ダーツの起源ははるか昔、ヨーロッパで戦乱が続いていた頃、戦争に疲れた英国兵士達の間で、ワイン樽を的にして矢を投げる遊びが流行った事に端を発したとされている。当時の矢といえば、1メートル以上もあったそうだ。そんな矢を投げるのだから体力も要ったに違いない。しかし、戦場から帰った兵士達はその遊びの面白さを忘れられず、祖国英国でも続けるようになった。樽は簡単には手に入らないので、木を切って的を作った。神の御業か、偶然か、誰かが木の年輪を使って、より複雑な、狙ったところへ矢を投げ得点で勝敗を決める、といったゲームを思いつき、それが発展していった。これがダーツの一番古い形であるらしい。
やがて、英国各地でこのように原始的で槍投げのような、ダーツの原型のゲームが遊ばれるようになった。寒い英国では外でのゲームはつらいに違いない。長かった矢はだんだん短く小さく改良され、的も小さい屋内向きに変わっていったのだろう。やがてダーツは長い矢を投げる体力がなくてもでき、屋内で気軽に楽しめるゲームとして、庶民の人気を獲得し始めた。
英国でのダーツ人気の立役者といえば、なんと言ってもパブ。日本でも最近見かけるようになったが、みんながビール片手にわいわい騒げる気軽な酒場のことである。英国人にとってパブは生活の中心といっても過言ではなく、どんな小さな町にも、病院や警察はなくてもパブは必ずあるというほどに必要不可欠な存在だ。昼から営業しているこの酒場は、特に労働者階級の人々にとって大事な社交場。ただお酒を飲むだけでなく、地元の情報交換の場として、また最も身近な娯楽場として、英国人の生活に深く根ざしているのだ。そんなパブでおしゃべりに疲れた者たちがダーツに興じるようになる。シンプルだが人間の根本的要素である闘争心をかき立てられるゲームの面白さが、人々を魅了するのにそんなに長くは掛からなかっただろう。ダーツは瞬く間に爆発的な勢いで英国全域に広がっていった。
18世紀になるとダーツのボードを作る最初の業者が現れ、現在のダーツボードの基礎が確立された。よくよく考えてみれば、得点の配置などの妙が、ゲームとしてもスポーツとしても、ダーツを面白くする大きな要因ではないだろうか?入りにくい一番上に20点があり、その横に1点を配置するなど、人の心理をうまく付いたアレンジになっている。
19世紀に入って公式ルールが制定され、数々の団体やクラブが結成された。更にダーツは英国から海を渡り、英国植民地のインドやカリブ諸島などにも伝わっていった。この時期は、ダーツのゲームースポーツとしての確立時期とも言える。様々な提言がされ、より洗練され進化したことだろう。
ダーツがスポーツとして認識されるようになったのもこの頃からだが、それは簡単な道のりではなかった。ダーツの発展になくてはならないパブの存在だったが、いつもダーツに良いほうにのみ働いたわけではない。酒場でするゲームということで、常に酒やタバコといったマイナスのイメージに結び付けられてしまい、ダーツをこころよく思わない者も現れた。1908年にはとうとう裁判沙汰となり、ダーツが真のスポーツか、それともただの飲んだくれのための娯楽か、ということで意見が二つに分かれた。裁判で証言台に立ったあるパブのオーナーが、判決を大きく左右することになった。みんなが見守る中、彼は続けざまに2度も、20のダブルに3本のダーツを入れて見せたのだ。これを見た裁判官は、「ダーツは運に左右されるゲームではない」と宣言し、晴れてダーツはスポーツとして認められることになった。
その後もダーツの波乱の歴史は続く。20世紀にはさらにダーツ人口は増加し、トーナメントなども開かれるようになったが、2度の大戦の影響を受け、その度に団体の建て直しや、トーナメントの中止などにあった。これはその他のスポーツでも同じ事だろう。20世紀前半は人間にとってだけでなく、ダーツにとっても受難の時期だったのだ。
戦後テレビの普及のおかげで、テレビでのスポーツ観戦というのが人々の大きな楽しみとなっていったが、ダーツの試合もテレビで放映されるようになり、人気は更に高まるかに見えた。だが、ダーツの性質上スポンサーはほとんどがお酒やタバコの会社だったため、一部の社会団体の反感を買い、更に、ダーツにはギャンブル性があるということから、ますます締め付けは厳しくなり、結局テレビ放映は中止、またしてもダーツにとっては厳しい状況が続くこととなる。
誰でも何処でも、簡単にできて、面白い。それがダーツの一番の魅力だ。そんな素晴らしいスポーツが世間に認知されないはずがない。様々なマイナスの要素を乗り越えて、今ダーツは変わり始めている。その牽引力がエレクトロニックダーツだ。英国のパブゲームという印象が強かったダーツだが、このおかげで、そういった古臭いイメージを払拭する事に成功、特にアメリカでは、エレクトロニックダーツが大ブレイクし、大きなトーナメントなども開かれるようになった。エレクトロニックダーツは、ダーツ初挑戦の人にも簡単で、面倒な計算もいらない。子どもや高齢者でも楽しめるスポーツとして、ダーツの新たなファンを増やすことになったのだ。
更にスカイスポーツなど、ケーブルテレビの台頭により、ダーツファンが再びテレビでダーツの試合を見られるようになった事も、プラス材料といえるだろう。まだまだ他のスポーツに比べたら放送は少ないほうだろうが、ライブ中継への期待も高まっている今、ダーツというスポーツにとってテレビはますます重要な役割を果たすことになるのは疑う余地もない。
2004年現在、日本でのダーツ人気も本格的になってきた。アーケードゲームを遊ぶ感覚でダーツを始めた若い世代の中から、素晴らしいプレイヤーも育ち始め、層の厚さも出てきた。一方エレクトロニックダーツから入り、ハードの面白さにはまっていく人もいる。世界の大会でも日本人プレイヤーの活躍が目立つようになって来た。競技としてのダーツだけでなく、ダーツを取り入れたリハビリが考案されるなど、日本の文化の一つとしてダーツの周りは目が離せない状況だ。
始めにも書いたが、今年はオリンピックイヤー。スポーツとしてのダーツがオリンピック競技に選ばれる日が、必ず来ると筆者は信じているし、世界中のダーツプレイヤーやファンの人たちも、同じ思いでつながっているはずだ。小さな島国英国で生まれ、世界を巡ってこの小さな島国日本にたどり着いたダーツ。
戦争中の暇つぶしとして始まったダーツが、平和の祭典でプレイされるとしたら、どんなに素晴らしいだろう。