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Vol.1 創刊号 英国

2003年3月 創刊号

英国とダーツ

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ダーツの舞台は英国のパブ……では、英国のパブは今はどうなっているのか。ダーツ事情は?さっそく、ロンドンに飛んでみよう。そしてダーツの世界チャンピオンにも会いたいな。

待てよ。その前に読者にちょっと説明しておきたいことがある。英国という国のことだ。前から思っていたけど、この日本語訳「英国」は少々、誤解を生む。イギリスという国は、北アイルランド、スコットランド、ウェールズ、イングランドで成り立っているので英語で正式には、The United Kingdom of Great Britain and northern Irelandとなる。それなのに日本語では「英国」。それぞれに、自治権があり、法律も別。すこし前迄は何でもかんでも、バラバラの国であった。イギリスの小説や映画に接すると、日本人にとっては、難解。地域によって、宗教、英語であっても強烈な方言(映画・マイフェアー・レディーでは、アクセントで地域を言い当てていたでしょう?)、歴史、などなどとにかく複雑だ。

今でも、どの地域でもその郷土意識は色濃く残る。その誇りは、誰も忘れていない。それだけに、England以外の地域に行って、例の日本語訳のAre you English?なんてパブで言ったら、ひっぱたかれるかもしれない。この前まで戦争をしていたのだから。アイルランド紛争は、20年前迄、日本でも新聞の一面記事だった。ラグビーの試合をこの四ヶ国で開催すると血みどろ。よっぽどワールドカップの方が、スマートな進行。スポーツ観戦では同じ会社の同僚なのに、殴り合いになったりする。でも翌日、会社で会うと「昨日はおもしろかったね」なんて国。なかなか、熱い気質。しかしながら、世界は小さくなる傾向にあるし、まとまれば、それなりに便利な為、一つの国になった。長くなるので、ここへんでやめておこう。

どうしてこのこと書いたのかというと、ダーツはパブから広がったため、パブの進化と関係する。パブを研究しないとダーツの精神も学べないかもしれない。日本ではアイリッシュパブが、一番スタイルを堅実に継承したからポピュラーになったが、パブは英国全域で存在し、いろいろなスタイルがある。では、ダーツと密接に関係する、本題のパブ文化の英国にいざ……出発。

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ユニコーン事務所訪問

英国に来たのだから、ダーツメーカーの話を聞いてみたい。さっそく有名ブランドメーカーの一つ、ユニコーンのオフィスに「ダーツ・ライフ」創刊の主旨を説明し、取材申し込みの連絡をすると快い返事。

ユニコーンはロンドン市の南のフォレストヒルという場所にある。到着すると、セールス・ディレクターのリチャード氏が最初に登場し、親切に会社のこと、商品のこと、ダーツの歴史など、丁寧にいろいろ教えてくれた。会社の始まりはお爺さんが創業、それを父が受け継ぎ、現在二人の息子が中心となり、現在に至る。英国の良いところを大事に守り抜いた、ファミリー企業だ。

会話の端々からも感じるが、頑固な職人気質がこの企業の基礎にある。ダーツを作り始めたきっかけは、お爺さんがダーツをプレイしていた時代、矢は木製、羽は紙製だった。そのためプレイしていると、すぐに羽ははずれ、木部の付け根やポイントの部分もバラバラになる。へたをすると、プレイしているよりもダーツのケアーに時間がかかってしまう。そこで合金製のダーツを開発したというわけだ。

さぞかし完成迄には苦労したでことであろう。それも現在のようにポイント、バレル、フライトと明確にパーツを分け取り外し自由にした。ダーツはそれにより安定度を増し、非常に扱い易いものへと生まれ変わった。我々も大きく恩恵にあずかっている。

この商品は爆発的に売れ世界のダーツプレイヤーに急速に広まり、ユニコーンというブランド名を世界に知らしめたのである。その後、狭い場所に3本矢を投げるには、バレル部分がより細い形状の方が有利なため、タングステン入り合金を発売。このように常に努力と研究を重ね世界をリードしてきたのである。

結局、初対面にも関わらず、3時間あまりも会社にお邪魔をした。リチャード氏はよく来日するが前回は1泊2日という強行日程。いつもハードスケジュールで世界を飛び回っている。さぞ忙しいことと想像できるが長時間を本誌の取材に割いてくれたことに感謝を申し上げたい。

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世界チャンピオンに会った

ロンドン・ユーストン駅より約2時間半の列車旅でチェスターフィールドに到着。英国の長距離電車はいつも思うが快適だ。ユニコーンのリチャード氏のとり計らいで、あの世界チャンピオンのバリー氏が駅に迎えに来てくれた。大感激だ。アンビリーバブル。ダーツの話をすると思いきや、その地域の観光案内をしてくれた。街の中心をなす教会や回りの有名な建物、公園、市場などのいろいろな名所を巡った。日本人は英国に来るとロンドンなどの大都市しか観光しないが、こんな良い場所もあるよと伝えてくれと、頼まれた。言うまでもない。じつは今回の取材で英国の印象が、一変したのだから。バリー氏はこの地域を本当に愛している。うらやましいと思う。ロンドンを出てみると、英国ってのは味わい深い。折しも日本では今、映画のハリーポッターによって英国ブーム。郊外にはそんな映画のワンシーンを思い浮かべるような英国の魅力がいたる処に溢れている。古いレンガを積んで造られた町並みは落着いているし、樹木と丘陵のおりなす地平線は日本の自然とは異なった風情があって美しい。

英国人が夏の休暇に車に荷物を入れてB&Bに泊まりながら、田舎を旅する気持ちが理解できる。ゆったりとした贅沢な時間を過ごす。自分の国の素晴らしさを探す。魔術学校に入って秘術を学び、ホウキに乗って空も飛べる。眼下の農村の山羊や馬がびっくりする光景は格別にちがいない。

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ダーツの親善大使の称号を与えられた男 Barry Twomlow

バリー氏は昼食に、チェスターフィールドの郊外にある一軒家のパブ「ザ・ゲート・イン」に招待してくれた。パブというよりは格調があるレストランという雰囲気。ロンドンの中心部のチャラチャラしたパブとは、ちょっと趣が違う。暖炉の回りにはアンティーク家具が、ごく自然に置かれている。食事は英国伝統料理。日本ではあまりその美味は知られていないが、本当はおいしい。日本でも最近パブが増えているので、ぜひお試しを。

全世界を旅し、ダーツの普及に努力してきたバリー氏は現在70歳。数時間にもわたって、ダーツのみならず若い時の冒険談、人生感、昔のダーツ大会の笑い話など、楽しく語ってくれた。その愉快なことといったら、この誌面では書き尽くせない。この親しみやすい性格がきっと「ダーツの親善大使」と呼ばせる由縁なのだろう。それ故、今も多くの国にファンは多い。訪れた国は数えきれないが、来日は計3回。分厚いアルバムから、その時の写真を見せて、保管している名刺と一緒に説明してくれた。昔のことなのに、会った人物を全部、克明に記憶していた。ダーツの世界において、彼の作り上げた人脈は誰も真似ができないことだろう。彼と別れる時はまるで、自分のお爺さんに会ったような気分になった。Story-first issue-7

伝説のダーツプレイヤー John Lowe

伝説の世界チャンピオンと会えるとあって、朝から落着かなかった。あのジョン・ローに会えるのだ。世界で最初に競技会で9ダーツの完全ゲームをしたプレイヤー。紳士の中の紳士。その名前は世界に轟いている。

夕方に「ザ・クリスピン」というパブで待ち合わせをした。パブの前に着くと、彼の車が既に停まっていた。ナンバーは301UP。まいった。奥様同伴で待っていてくれた。

ダーツについて語り始めるその口調はいたって穏やかだった。会話を続けながらもビールを買って来てくれる。彼はダーツは勿論、お酒も強いので有名。競技でもかなり飲んで望むという。あれこれ話をしてから写真撮影をお願いした。

ファインダーから彼を見ると、その形相は全く違う印象だった。まさに勝負師の顔に変化していた。世界をダーツで生きるには、このオーラがそれを可能にするのだ。ダーツに生活、人生の全てを費やしているのだ。その厳しさは想像するに余りある。自分で持参したユニコーンのボードに投げこむ。平均二本は20トリプルに入っている。ボードに眼差しは集中し、瞬きひとつしない。スローイングはかつて見たことが無いほどスムーズ、どこにも必要以上の力が入っていない。物凄くダーツが簡単に感じる。何事でも秀でた人ってこんな感じ。

70年代に来日したという。競技会では当然のように優勝。ショッピング・モールのような広い場所で模範演技したことも覚えていた。「今、日本ではどのくらいダーツは盛んなの?」と質問もされた。ダーツのことには、なんでも興味津々だ。

奥様もダーツをやる。話しを聞いてみると、「ダーツではジョンに勝てないけど、お酒だったら……フフフ負けないわよ」とのこと。恐ろしいカップルだ。Story-first issue-8

現役世界最強プレイヤー Phil Taylor

最近、開催された競技会すべて総なめという実績のフィル・テイラー氏の自宅に伺った。ダーツ業界のどの人に聞いても今の彼は、いわゆる「アンタッチャブル」とのこと。

話しを始める前になんと自らお湯を湧かして、コーヒーを入れてくれた。世界チャンピオンに……なんという出来事だ。今だに「砂糖は?ミルクは?」と聞いてくれた言葉が耳に残っている。

ダーツの話をしようと思っていたのだが、いつのまにか子供、奥様、愛犬のことなどに花が咲いた。家族愛が言葉の端々から伝わって来る。優しそうな奥様はずっと一緒に寄り添っていた。ダーツや家族、この男の生きざまは写真の満面の笑みで一目瞭然だ。

毎日どのくらい練習するのかと聞くと、普段は一時間程で特別な試合の前だけ数時間とのこと。一年の試合数は約14試合。現在、世界各国より招待が来ていて、整理中との事。フィル氏は家にトロフィーを置ききれないので、「サガー・メーカーズ・ボトム・ノッカー」というパブにその全てを飾っているそうだ。早速、寄ってみると入口からは普通のパブにみえる。最初に映る光景もバーがあり、どうってことはない。しかし実はこのパブにはダーツ専用の部屋があるのだ。壁のあらゆる所にダーツのトロフィーや写真が飾ってあり、ダーツ博物館のような趣。サッカーや他のものもあり、英国のスポーツバーに来たような感じにさせる。この土壌がより強いダーツプレイヤーを育てるのだろうと納得。どんなスポーツも裾野が広い国に強い選手がいるのは現実だ。日本からこのパブへのツアー組もうかな。英国人に勝って、トロフィーはフィル・テイラー氏から。魅力的な企画?

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