Vol.108 中村 周作
Darts Stream Live

2021年5月号

PDCのトップランカー、サイモン・ウィットロックに2回勝利
僕にとってはテレビの人ですから、今でも信じられません。
彼はけっこうクールで悔しいというよりは「良いダーツだったよ」と言ってもらいました。

最初のダーツとの出会いを教えて下さい。
父がメダリストのディーラーをしていたので、自宅にマシンがあったんです。ですので出会いは生まれた時からです(笑)。小学校1年生の時に父がダーツのお店を開店して、そこで遊びで投げ始めました。

そのような環境でしたから、ダーツに触れたのは早かったのですね。では本格的に投げ始めたのはいつからですか?
小学校4年生の頃ですね。きちんとした距離のスローラインから投げて、20ダブルに届いてそしてそのダーツが抜けるようになったからです。それでちゃんと投げ始めました。横須賀でやっているソフトリーグにも参加するようになりました。

そこからダーツにさらに入り込んでいったのでしょうが、教えてくれる人はいたんですか?
当時は父とライブのレーティングで15くらいあるお店の店長さんから、教えてもらっていました。

その時はどのくらい投げていたんですか?
土、日は一日中投げていました。お店は昼間ほとんど貸し切り状態だったので、恵まれた環境でしたね。

その年でそれだけ投げていたということは、やはりダーツ大好きなんですね。
同級生はサッカーとかやっていましたが、僕はダーツでした。

スティールを始めたのはいつですか?またその理由は?
小学校5年生です。父のお店「ダーツパブ・アジト」が全神奈川ダーツ・オーガニゼイション(A.K.D.O.)に参加していて、とても強いチームでした。それを見てかっこいいな!と思って始めました。
当時はうまくないとスティールは投げちゃいけないと思っていたんです。その頃ソフトでレーティングが13くらいになっていたので、そろそろいいかな!という流れでした。

スティールはターゲットが小さいのでやはり難しいと思うのですが、最初はどんな印象でしたか?
最初はブルばかり狙っていたのを覚えています(笑)。途中でルールを教えてもらって20に変えましたが、的は小さいと感じましたね。

その頃、身長はどのくらいだったんですか?
150cmくらいでした。20トリプルは狙うには高かったですね。

最初のタイトルは何でしたか?
シングルだとMJのアンダー19で中学校1年生の時に優勝しました。

尊敬するプレイヤーはいらっしゃいますか?
フィル・テイラーとエリック・ブリストウ です。テイラーはあれだけの戦歴のプレイヤーですので、多くの人が影響を受けていることでしょう。ブリストウ は彼のスタイルが好きだからです。最初はテイラーにダーツを教えていて、彼に負けた時に引退するのはストーリーが良いですよね。
僕がダーツを始めた頃はフォー・スタンスとかダーツの飛びとかが、よく話題になっていましたが、ブリストウの動画を見るとこんな投げ方でも入るんだとショックを受けました。彼の自分のスタイルを貫くダーツスタイルが好きです。スローラインに立ったら自由なんだな、ということを学びました。

今回ダート・ストリーム・ライブ、優勝おめでとうございます。
ありがとうございます。

これはどんなトーナメントですか?
オーストラリアで主催されていて、全世界から参戦出来るスティール・オンライン・トーナメントで毎週土曜日にやっています。その日によりますが、多い日ですと80人、少ない日ですと40人弱の人が参加しています。2回優勝しました。

世界から強豪も参戦していて、優勝するのはたいへんですよね。
そうですね、運もよかったと思います。

PDCのトップランカー、サイモン・ウィットロックに2回勝ったんですね。彼は大ショックだったんじゃないですか?
僕にとってはテレビの人ですから、今でも信じられません。彼はけっこうクールで悔しいというよりは「良いダーツだったよ」と言ってもらいました。
最初の対戦は接戦でアベレージも80後半くらいでそれほど高くなくて、ワンチャンスを入れて勝った感じでした。
2回目の対戦では彼が僕のことを覚えているのかどうかは分かりませんでしたが、僕は当然凄く意識していました。一回勝ったことは忘れて、チャレンジ精神で自分のベストを尽くそうと考えていました。展開は彼が102、103の高いアベレージを打っていて、僕は92くらいでしたがフルレッグの末、勝ちました。彼が獲ったレッグは12ダーツばかりで無我夢中でした。勝てた時は嬉しかったですね。
このトーナメントに出たときからとにかくトップランカーと対決したいと思っていたので、それが出来て大感謝です。もしかしたらウィットロックなんて生涯対決出来ないかもしれませんからね。

ユースからやっていて家族の理解が大事だと思うんですが、いかがですか?
自由にやらせてもらっています。僕がダーツを真剣に投げると決めたきっかけは、よくお店に来ていただいていた平賀正弘さんにJSFDでどうすると日本で開催される神戸のワールドカップに参加出来るのか、教えてもらってからなんです。海外じゃないので参戦しやすいですよね。
それから頑張って初めてジャパン・オープン・ユースで優勝して、英国のワールド・マスターズと神戸大会の代表を獲得しました。そこからですね、ダーツでやれるところまでやろうと決心したんです。
高校も進学する際に通信制に決めていたんですが、何も反対はありませんでした。それの方がダーツを投げる時間が出来ますからね。トーナメントに出る際にもフルサポートしてくれて、ダーツのために多くの時間を割いてくれたと思います。おかげで高校も3年で今年の3月に卒業しました。僕はそれだけダーツに賭けています。
それでも家族からはもしダーツが嫌になったらいつでも止めていいよ、と言われています。お父さんは厳しいのですが…(笑)。

今年からジャパンに参戦する予定のようですね。
全戦出る予定で準備しています。

結果を残せる自信はありますか?
いやぁ、どうでしょうか。ソフトでは日本は世界最高峰ですからね。1回戦から決勝のような戦いになると思っていて、甘いステージじゃないでしょうね。上位に食い込むチャンスがあったら掴みたいですね。

まだ若いので経験を積んで、吸収していけるので期待したいですね。
そうなるように頑張りたいと思います。

やはりソフトとスティールは違いますからね。
全然違うと思います。はずしたら負けのソフト、スティールは入れて勝つというイメージですね。

これからの目標、夢はなんですか?
PDCに時々行くとかではなくて、そこに住んでダーツプレイヤーとして賞金を稼いで生活出来るようになりたいです。メジャーなプレイヤーになれたらいいですね。

来年、コロナが落ち着いたらQースクールに挑戦するつもりですか?
皆さんにもよく勧められますが、行けたらいいですね。先日もエディーさんが来年は必ず行くと言っていましたが、やはり大事なことなんだなと思いました。僕も視野に入れて自分のレベルを上げていきたいと思います。