静かに燃える闘志。再びステージに立った理由。
21年、ダーツと歩んだ人生 ─ 仕事と情熱の“両立”を語る
初めてのインタビュー、よろしくお願いいたします。ダーツとの出会いを教えてください。ダーツ歴は何年になりますか?
大学生のとき、同級生の家にダーツが置いてあったんです。投げてみたら、バスケットボールをやっていたこともあって、「狙う」という点が共通していて、すぐにおもしろいと感じました。自分のポジションがシューターだったのも、なおさらハマった理由かもしれません。
それから近くのビリヤード場にダーツマシンがあったので、通うようになりました。そして、たまたまだったのですが、1か月で1000点を出してしまったんです。でもその後、いくら投げても出なくなって、気づいたらどっぷりハマっていました。2004年のことなので、ダーツ歴はもう21年になりますね(笑)。
当時は神奈川県に住んでいましたが、2年後に会社に入り、北海道に配属されて13年いました。神奈川と北海道、両方の地域でダーツを通じてさまざまな場所に行くようになり、多くの友達ができました。当時からダーツは本当に素晴らしいツールだと感じていました。
プロになったのはいつですか?
私はサラリーマンなので、アマチュアとしてよく「DJO」という大会に出場していました。
あるとき「DーCROWN」ができて、北海道の知り合いのプレーヤーが活躍していたんです。周囲から「なぜ出ないの?」と言われて、「じゃあ1回だけ試しに」と出場したところ、上位に入ることができて、DーCROWNでプロになりました。
この資格については記憶が曖昧なんですが、たしかベスト8に入るとプロ試験を受けなくても良かったと記憶しています。2007年のことですね。
その後、DーCROWNが終わってしまい、団体の方針でPERFECTに出場するようになりました。その際もプロ資格試験は免除されていました。知野真澄プロや大内麻由美プロも、同じような経緯で移籍していたと思います。当時はダーツ界が複雑な時期で、JAPANに移ったプレーヤーも多くいましたね。

PERFECTに参戦し始めたのはいつからですか?
2013年の移行期で、岡山大会が最初だったと思います。当時は仕事も忙しかったので、年間5〜6戦のスポット参戦でした。たまに現れる「レアキャラ」みたいな存在でしたね(笑)。
最近はどのくらい参戦しているのですか?
コロナ禍でまったく大会がなかった時期に、「もうやめてもいいかな」と思うこともありました。2022年の残り3戦から復帰し、2023年に挑戦して結果が出なければ諦めようと考えていました。そうしたら開幕戦でベスト4に入れたんです。
遠征費もなんとか捻出できたので、「費用が尽きるまでは頑張ってみよう」と思いました。
その後もまずまずの成績を残せたので、会社には副業申請を出して、収入は確定申告をしたうえで、最後まで全戦参戦することにしました。2024年も全戦に出場しました。
今シーズンは、息子のミニバスケットのコーチもしていて、試合の日程と重なることがあるため、時々欠場しています(笑)。
第9戦・京都での優勝おめでとうございます。優勝は何回目で、いつ以来ですか?
ありがとうございます。初優勝は2023年の東京大会で、その年は3回優勝しました。今回の京都で4回目になります。2024年は1度も優勝していなかったので、1年半ぶりですね。
当日はどんな流れの1日でしたか?
決勝トーナメントでは、厳しい山に入ってしまいました。調子は普通でしたが、それでも試合に集中して、結果を残すことができました。
私は普段から、どんな練習をしてきたかや、当日に気を付けることなどをメモに取っています。京都大会では「あと何試合勝ったら優勝か」と数えながら臨みました。すると「そろそろ負けるのかな…」という気持ちになりがちですが、「いやいや、まだこれから」と、前向きなマインドに切り替えました。
勝ち進むにつれて、「ベスト8だ」「ベスト4だ」と順位のプレッシャーが強まりますが、それを克服するためのマインドコントロールを意識しています。京都大会は、メンタルを含めてすべてがうまくいった大会でしたね。

決勝は佐々木淳也プロとの対戦でしたが、どんな試合でしたか?
すべてのレグが最終レグまでもつれるシーソーゲームでした。「ここで押し切られるのか、それとも最後に爆発できるか」という展開で、最後の2レグでやっと火が着いて、勝ち切ることができました。
近年の成績は、2023年が3位、2024年が14位、そして現在は9位とのことですが、いかがですか?
2023年は優勝が3回、準優勝が1回あったので、その実績が年間ランキングに反映されていたと思います。
ところで、お仕事について教えてください。
あまり詳しくはお話できないのですが、大手企業で営業職をしています。いわゆる一般的なサラリーマンですね。夜遅くまで仕事が入ることも多く、なかなかダーツの練習時間は取れないのが現実です。
それでは、試合に参戦するのも大変ですね。
そうなんです。土曜日に大会がある場合は、金曜日の仕事を終えてから夜に移動していますが、その移動中もずっと仕事をしていたりして、かなりハードです(笑)。
さらに、平日の夜や日曜日には息子のバスケットチームのコーチもしているので、スケジュールはパンパン。正直、マジで忙しいですね(笑)。
奥様は何とおっしゃっていますか?
本当に感謝しかないです。もともとダーツを通じて知り合ったので、活動にも理解があります。DーCROWNやburn.の大会にも一緒に行っていました。今でも、何もない日はできるだけ家族サービスをするようにして、バランスを取っています(笑)。
今年のPERFECT男子は、優勝者が頻繁に入れ替わって混戦ですね。
そうですね。2023年も最終的には津村友弥プロが年間ランキングを獲得しましたが、展開はかなり似ていました。今年はジョニー(安食賢一プロ)さんまでが移籍してきたこともあり、誰がチャンピオンになるのか、本当に予測できない状況です。
ファンの皆さんにとっては、観ていてとてもおもしろいシーズンなんじゃないでしょうか。

ライバルだと思うプレーヤーはいますか?
今は特定の選手をライバル視しているわけではないですが、キャリアの中で特に印象に残っているのは、畑野千春プロです。北海道にいた頃に活躍していて、PERFECTでも先に決勝に進んだりしていたので、当時はよく意識していましたね。
東京に戻ってからは、まわりがレーティングの高いプレーヤーばかりで、「ライバル」と呼べるような立場でもないと自覚しています。今はとにかく、謙虚にやっていますよ(笑)。
ご自身を分析すると、どのようなタイプのプレーヤーですか?
仕事でもそうなのですが、戦略思考型だと思います。たとえば練習では、限られた時間の中で最大限のパフォーマンスを出すにはどうすればよいか、常に考えています。
具体的には、カウントアップで常に1000点以上を目指したり、クリケットで各ナンバーの平均点を記録したりして、確率やデータを分析しています。そうすることで、自分の状態やレベルが客観的に把握できるんです。
京都大会のときも、試合が終わってホテルに着いたのは夜中でしたが、その日の試合内容や展開をレポートにまとめていました。すぐに忘れてしまうので、記録して成功例を積み重ねています。
また、動画がアップされると、それも加えてiPadに保存して、当日の自分の記憶と実際のプレーのギャップなども確認しています。
負けた試合も、良い参考になりますね。
そうなんです。「負けて悔しい」で終わってしまうと、得るものがありません。どの場面で失敗したのか、どんな精神状態で臨んだのか、そういったことをデータとして残しておくと、あとから必ず役立つんです。
同じミスを繰り返さないよう努力しているつもりでも、次はまた別のミスをしてしまう。それがダーツという競技なのかもしれません。練習時間があまり取れない分、知恵と工夫で補うようにしています。それが実を結べば嬉しいですね(笑)。
尊敬するプレーヤーはいらっしゃいますか?
たくさんいますが、真っ先に思い浮かぶのはケイポン(佐藤敬治)さんです。burn.の大会でいろんなプレーヤーがいる中で、彼の人当たりの良さや謙虚な姿勢には感銘を受けました。
スティールの大会でも黙々とスタッフの手伝いをされていて、本当に尊敬しています。今は同じバレルメーカー「SECRET」のチームメイトですが、彼はダーツを心から楽しみ、人を大切にしている姿勢が素晴らしいです。
そういった人間性を見習って、自分も年齢を重ねていきたいと思っています。
「越えられていない壁」はありますか?
壁というよりは、課題ですね。自分で選んだ人生のスタイルのために、長期間の遠征に行けないことが課題かもしれません。たとえば日本代表として海外の大会に出場することなどは、現段階では難しいと思っています。
JSFDの大会に出場してポイントを獲得し、ワールドカップのような舞台に立つには、時間的にも体力的にもハードルが高いです。
それでも、かつては考えもしなかったPERFECTの全戦参戦を2年連続で実現できたので、人生は何があるかわかりません。将来、可能性がゼロとは思っていません。より楽しく、充実した人生のために、何事にもオープンマインドでいきたいですね(笑)。

今までで特に印象に残っている試合はありますか?
いくつもありますが、あえて挙げるとすれば、昔「プライド」という大会でジョニー(安食賢一プロ)さんと初めて対戦した2試合ですね。北海道への異動直前で、当時はまだユニフォームも持っておらず、襟付きのシャツで出場していました。
そんな私服プレーヤーが大人気のジョニーさんに勝ったことで、会場ではちょっとした話題になったんです。でもその後、彼はルーザーズから勝ち上がって再戦となり、今度は私が負けてしまいました。そして彼はそのまま優勝しましたので、やっぱりすごい方だと思いましたね。
後で「ジョニーが私服プレーヤーに負けた」という記事を見かけて、「あっ、自分のことだ」と気づいたことをよく覚えています。それがきっかけで北海道でもいろんな人に覚えてもらえて、ユニフォームを作ることにしました。プロになる決断にもつながった、忘れられない試合です。
ダーツを続けるかどうか迷った時期はありましたか?
先ほども少し触れましたが、コロナの時期ですね。大会がすべて中止になりましたが、不思議と困ってはいませんでした。
その期間に資格試験を10個ほど取得して、猛勉強していたんです。仕事に関係する医療系やIT系の資格などに挑戦して、「資格コレクター」みたいになっていました(笑)。
勉強は練習で、試験は試合。合格すれば優勝みたいな感覚で、すごくおもしろかったです。ダーツがなくても充実した生活が送れているな、と実感していました。
でも、コロナ明けに大会が再開されて、「出場せずに終わるのはどうなんだろう」と思ってエントリーしました。最初の大会は予想どおり予選落ちだったんですが、2023年の開幕戦でベスト16に残ったとき、対戦相手に挨拶をしたら無視されてしまって…。
「えっ、自分はもう『過去の人』なのか」とショックを受けたんですが、その悔しさが、逆にダーツへの情熱を呼び起こしてくれました。その試合は燃えましたよ。そしてなんとかベスト4に残れました。
あとになってその方と話す機会があり、単に集中していただけで、私の勘違いだったとわかりました(笑)。
でもその出来事が、改めて「ダーツは自分にとって大切な人生の一部だ」と再認識させてくれたんです。
スティールダーツへの取り組みはいかがですか?
多忙なこともあり、なかなか大会には出場できていなくて、基本的にはPERFECTに集中しています。先週、1年半ぶりにATDOの大会に出場しました。ベスト8までは行きましたが、ダブルがなかなか決まりませんでしたね(笑)。
怪我やスランプの経験はありますか?
ダーツでの怪我はありませんが、バスケットでは何度かあります。高校時代、2回全国優勝した強豪校だったので、練習はかなり激しかったです。しょっちゅうどこか痛めていましたね。
ダーツにおけるスランプは、深刻というほどではなく、振り返るとうまく噛み合っていなかった程度だったと思います。2013年の「砦」という大会では、16人を倒して完全優勝したのですが、それをピークにしばらく成績が出なくなってしまい、初戦敗退が続くなど、プレッシャーに負けていた時期もありました。
試合前のルーティンはありますか?
朝起きたら、まずダーツの動画を見ながら準備します。その後、10分ほど瞑想して、雑念を払うようにしています。それから、自分の中にある「戦う感情」を呼び覚ますんです。
もともと心理学に興味があって、自分の見えない心の中にある「覚醒ポイント」を探すようなイメージです。ダーツはメンタルが重要なスポーツですし、ほかの競技でも取り入れている選手が多いと聞きます。
今後の目標を教えてください。
今、日本のダーツシーンには海外選手も参戦してきていて、国内ツアーもグローバルな環境になってきました。
そんな中でも、世界のさまざまなプレーヤーと戦って、自分の個性を発揮できる選手を目指したいと思っています。
「あのプレーこそ森勇樹だ」と言ってもらえるような、唯一無二の存在を目指していきたいですね。
最後に、読者の皆さんへメッセージをお願いします。
ダーツを長く続けてきましたが、これからも個性的なプレーヤーであり続けたいと思っています。引き続き、応援のほどよろしくお願いいたします。








