Yukari Nishikawa-2-1-Top

vol.27 西川ゆかり
世界を代表する女性プレイヤー

2007年9月

東京生まれの東京育ち お転婆な女の子でした…。

生まれと育った環境は?ダーツとの出会いは?
東京で生まれてずっと東京で育ちました。普通に小学校、中学、高校、大学と進学し特に大きな事件も無く割合、平凡な青春時代だったと思います。幼少期は、3歳と6歳違いの兄がいるので、それに影響されてかなり男の子っぽい子でしたね。でも負けず嫌いの性格はその頃から既にあったみたいで、兄二人に何でも挑戦しては負けて、ワンワン泣いていたことをよく覚えています。ピアノのお稽古は流行っていたのでやりましたが、本当は野外で遊ぶ方が好きでした。要するにちょっとおてんばな女の子だったということでしょう。中学時代はバレーボール一色の学校生活でしたね。でも、とってもへたくそだったんです。一生懸命練習したのですが、どうも球技に才能はなかったようです。それなのに背が高いため、レギュラーにさせられて、そして試合でミスして、怒られて…恨まれて…実は今もそれが夢に出てくるんです。一種のトラウマですよね、これって…。高校時代は皆さんと同じように女性に目覚めて、お洒落したり、今のクラブ、当時のディスコにもよく出かけましたよ。大学時代にビリヤード場でアルバイトを始めたんですが、そこにダーツが置いてあるので投げ始めました。今から思えば「運命の出会い」だったでしょうか。20年も続けるようになるとは全く思いもしませんでした。

何故、ダーツの魅力にハマッタのですか?
ハマッタのは、やっぱりリーグ戦かな…。リーグ戦に誘われて始めたのが大きなきっかけになったと思います。リーグ戦始めてから、練習も真面目にするようになって、アレンジも徐々に教えてもらいました。たまたまその頃、ソフトダーツの海外派遣に幸運にも行く機会を与えてもらったりして、ダーツにのめりこんでいきましたね。「こりゃ…頑張らなきゃ」って思いましたね。それがもう19年も前の話です。最近若くて上手なプレイヤーがたくさんいますが、その時に生まれました…なんて言われます…。

その頃の練習方法は…1、2、3、とラウンド練習をしたほうがいいって言われたんですけど…私、ラウンドが嫌いで…ラウンドで最後までこなした記憶がない(笑)。ダーツに関しては、課題を決めて練習したことが無いんです。でも、練習は沢山していました。イメージを掴むために、ただ黙々と投げていました。毎日ダーツバーに通って投げていました(目黒のブーリーブルズアイ)。当時はまだ学生で、時間も沢山あったので、お店+自宅で1日8~9時間も練習してましたね。(本当!!すご~い)お店で強い人とプレイして…負けて…自宅に戻って、夜中にこつこつコツコツ練習してましたね。

何がそこまでさせたのですか?
負けることがくやしくて練習に没頭したのかなぁ…。始めてから3~4年はかなり練習してましたね。ソフトダーツのアルバイト先のお店でも、お客さん来ないうちに、ずーっと投げてました。その頃のダーツは7gで、軽いダーツを正確に投げることで良い練習になったと思います。今もその当時のダーツを大事に持っていますが、もう全然投げられない…。

印象に残っている試合は?
一番最初の海外での試合に出場したのは西ドイツのソフトダーツのトーナメント。次にアジアカップのスティールダーツトーナメントでシンガポールに行きました。それまで出場していた日本女性プレイヤーはかなり実力もあって、常に優秀な成績を残していたので、しっかり実績を残さないと戻ってこれないという雰囲気がありましたね。でもまぁ出場した周りの選手は皆強いプレイヤーだから、他の人が優秀な成績を残してくれるだろうと気楽に参加したことが幸いして、初めてのアジアカップでシングルス・ダブルス共優勝したんですよ。それが25~26歳の頃ですね。当時は日本の代表を勝ち取るのが大変でした。予選会は日本各地で開催されていたし、幾つかの主要トーナメント以外は、男性女性の混合トーナメントだったので、ポイントを取るのが相当難しい状況でした。参加した1年目は代表になれなくて、2年目も頑張ったんだけど、結局代表候補次点でした。たまたま2年目は代表のプレイヤーが出場辞退したことで、私に出場チャンスが巡ってきたんですけど…とにかく代表になるのが大変な時代でしたね。
最初にワールドカップへ出場したのはスイスです。そしてオーストラリア、マレーシア、フランス、オーストラリア、今回はオランダ大会に出場します。その他ではアジアカップで1回、アジアパシフィックカップで2回出場しています。成績は、最初のアジアカップで優勝、アジアパシフィックカップでも1度優勝しています。ワールドカップでは、最初に出場したスイスも含めベスト8に3回なっています。最初のワールドカップではベスト8でマンディー・ソロモンに負けました…強烈な強さでしたね。負けたのが悔しいというより、それを通り越して…本当に衝撃でした。ワールドカップの女性トーナメントはかなりレベルが高いですよね。今年もオランダ勢も含めて強いプレイヤーがたくさん出場するんだろうなぁ…。今年ももうすぐオランダで開催されますが怖い反面、ワクワク感も相当あります。がんばってきますからね…結果をお楽しみに。

ワールドカップでの一番の思いでは?
先ほど言ったように一番印象に残っているのは、最初に出場したスイスでマンディー・ソロモンに負けた試合でしょう。あれは絶対に私の脳裏から消えない…強烈に強かった…女性プレイヤーには思えなかった。同じ女性プレイヤーに、あれほどの負かされ方をしたのは初めてでした。手も足も出ない感じ。投げ方・飛び方が違うんですよねぇ…矢が生きてるみたい。所詮日本のレベルはまだまだってことなんですよねぇ。
あれからずーっとあのダーツを目指して常に考えているんですけど、未だに良いヒントが思いつかないんです。きっと強い国には、小さい頃から「ダーツ塾」みたいなのがあって、そこで練習してるんじゃないのかなぁ(笑)。海外の選手は小さい頃からダーツを始めてるんだろうな…。いまさら子供に戻れないし、「もう私、今から左手でデビューし直したい…」(笑)。

DMCプレイヤーになって2年になりますね
当時私はソフトダーツを全く投げていなかったんですが、「とりあえず使ってみて」と言われて…でも私、頑なにソフト投げなかったんです。まだまだハードで頑張るからといい続けて…しばらくして、その頃使用していたハードダーツの製造が中止になったのがきっかけで、DMCでハードダーツを作ってもらったんです。それが「ファルコン」です。と~っても「良い」ダーツです。
私も自分のダーツをもっと理解していれば、設計の段階で色々な意見を取り入れてもらえたんですけど、DMCの野村さんから、あまり自分の意見を話さないものだから、「やりがいがない」と言われたものです(笑)。

ダーツライフを振り返ってみて
う~ん…いつの間にかダーツが生活のほとんどを占めるようになりましたね。大学を卒業して最初に就職したのがキッチンメーカーでした。入社のときにショールーム勤務を薦められたんですけど、ショールーム勤務だと日曜出勤になってしまいダーツが出来ないので、無理に総務部に入れてもらいました。ダーツ中心の人生が普通になってしまいましたね。なにせリーグ戦始めてからこの20年間、休んだのは1シーズンだけなので、そりゃダーツライフになっちゃいますよ!!トーナメントは自分のペースで出場してますが、リーグ戦だけは欠かさず参加してます。私にとって本当に大事なものなのです。

スランプはありましたか?
まだ、スランプとか言える段階ではないと思っていますね。気持ちでは落ち込んだりすることが多少はあったけど、技術的なスランプ…ダーツやっている20年間ず~っとスランプみたいなものかなぁ。私普段は本当にへたくそなんですよ。よく営業で地方に呼ばれてゲームしてもぜんぜん入らないんです。ただ、トーナメントの時だけは何かが違うんです。試合だと集中できるのかな…気持ちが「試合」モードに入らないとちゃんとしたダーツが投げられない…それが一番の悩みです。
一般的に上手いプレイヤーというのは、常にダーツが入りますよね。どんなときでもダーツが入る様に私も練習してるつもりなんですけど、ダメなんです。雑誌やDVDを見てくれたファンの方に「期待してます」って声を掛けられることがあるんだけれど…あれっ!ごめんなさいって感じなんです。