2003年8月号
娯楽の殿堂ラスベガス
あらゆる種類の娯楽を求めて、世界中から人々が集まる街、ラスベガス。この夢と幻想の街で2003年メダリスト・ワールドチャンピオンシップ・トーナメントが開催された。エントリー数4,000人、うち日本人プレイヤー180人。日本からの参加数は開催国アメリカに次ぐ。ダーツの魅力は何なのか、何が彼らを熱くするのか。会場はホテルリビエラ。数100メートルにもおよぶカジノエリアを横切り、そして長い廊下を進むといよいよ会場入り口。各国のプレイヤーが行き交う中、まずは金色に輝くトロフィーが飾られている。その数に圧倒される。一体どれだけの数のプレイヤーがエントリーしているのか?レベルは?何台のダーツマシーン?一気に会場への期待が高まった。
この大会はまさに世界大会というだけあってその規模には驚かされた。会場のホテル・リビエラは天井の高さは約10メートル、広さは1、000坪以上。一日の平均エントリー数は1、000人、4日間で延べ4、000人。賞金はかなり下位にまで支払う制度で催されたので全ての経費の合算は考えるのが恐ろしい程。スタッフ数は二交代制で一日30人以上、ダーツマシーンは250台。どの数字をとっても世界大会に相応しい数字だ。会場に入ってみると入り口左にはコントロールセンターが設置され、試合の進行を把握、その前のテレビモニターでは対戦ゲーム番号と名前を写し出していた。会場があまりにも広大な為、出場者へのアナウンスは時には英語で、また時には日本語で絶えず流れ、それが世界大会だという臨場感を高めていた。世界各国の旗でディスプレイされた掲示板には刻々と試合結果が張り出され、それを自分や友人の名前を探す人々の姿。勝って抱き合う人、負けて涙する人、数千人の人々のドラマが繰り広げられていた。
世界各国からプレイヤーが出場したが日本からは約180名が参加。滞在形式の大会のため、毎日朝10時から深夜遅く迄連日ダーツ漬けの日程だ。来年参加したいと考えている方の為に幾つか感じた事があるので書いておこう。初日にポール氏に会ったが、午前1時を回っていたのにまだ決勝の対戦相手が決まっていなかったように、日頃の練習の成果が試されるのは勿論だが、体力も大きなポイントであったのはまちがいない。勝ち残るほど夜遅くなるので心の準備をしておきたい。また、試合の間の待つ時間は相当長いので集中力を持続する工夫も大事だ。どんなスポーツ競技でも同じように試合では日頃の練習とは違った面があるので注意が必要だと強く感じた。よく練習のようなプレイができないと嘆く人がいるが、練習は練習、試合は試合という全く異なった精神面があるので心の中で割り切らないとプレイは安定しない。特にこの大会に参加した日本人プレイヤーにとっては何と言ってもそこはラスベガスという外国。時差、言葉の問題、包み込む雰囲気は全く異なっていたので投げにくいと感じたプレイヤーも多かったであろう。ホテルの外に一歩出れば気温が昼間40度以上、夜でも35度ある環境は、日本では考えられない。それに加え会場の隣はラスベガスでしか味わえないカジノがあり、周囲はテーマパークのようなホテルが立ち並ぶ。誘惑に惑わされずダーツだけに集中するのはかなり困難だがそれに打ち勝たなければならない。
試合では、自分のペースでダーツボードに無心で投げるという事は思っているよりむずかしい。勝ち上がるほどに欲が頭をもたげ、リズムは普段のペースよりも自然に早くなっていき、緊張でダーツの握りも強くなる。あるプレイヤーは我を忘れて3本一緒に投げたなんて笑い話のような事も起きた。そして競技相手が好調だとつい焦っていつもは狙わない場所へ無理して投げてしまう。このぐらい大きな大会で平常心を保ってプレイするというのは相当にそれなりの精神面の鍛練が不可欠だ。最近、他のスポーツでは技術面と精神面の両面でのプレイヤーへのバックアップが主流となっているが、そんな本を読んでみるのも一考かもしれない。
会場内は何処を見てもまさにヒートバトル状態。しかし、プレイヤーには各々個性があり外から観戦していると実に興味深かった。競技相手と冗談を言いながらプレイする者、口をキュッと結んで無言でプレイする者。自分の世界を作り上げブツブツ独りで喋りながらプレイする者。やたらアルコールを口にする者。それでも大多数は明るい人たちが大半を占め、勝てば皆で喜び合い、負けると競技相手を讃えるという姿勢は国を越えて、言葉を越えて全ての人たちに浸透していた。なんとダーツは素晴らしい競技ではないか。同じルールの下、こんなにも大勢の人が集まり時間と空間を共有できる。この競技をやっていなかったらけっして会う事もなかった人たちと知り合え再会する事もけっして夢でも偶然でもない。こんなに楽しいからこそ、この大会の規模が年々大きくなって来たのだ。
この準備された特設ステージの前でのプレイは特別だ。会場一番奥に位置し、決勝戦のみで使用される。決勝に進出するとコントロールセンターで名前が呼ばれ、ロッキーのテーマ音楽が流れ、トロフィーとシャンパンが積まれたワゴンと共にこの場所に行く。周りからは大喝采と大声援。精神的に高揚するようにできている。決勝戦を観戦する観客席も特別に広く造られ、見やすいように一段高くなっている。日本人の素晴らしいプレイに知らない外国人からも「ワンダフルプレイ」の声が起きていた。コインを投げていよいよ決勝戦スタート。さあ、1年の練習の成果を出すぞ。日頃のチェックポイントを冷静に思い出して。腕を思いきり伸ばしてターゲットにたたき込むぞ。横に置いてあるあるトロフィーは自分のものだ。用意されているシャンパンの美酒は必ず味わうぞ…。強い決意は優勝するための必要不可欠条件。
眠らない街 ラスベガス
会場からほとんど出られなかったプレイヤーのかわりにラスベガスの街を案内しよう。街の中心を南北に走るラスベガス・ブールバード(Las Vegas Bldg.)は約6Kmの大通り。通称ストリップ(The Strip)といわれている。両側には巨大なテーマホテルやカジノ・ショッピングセンターが並び、それぞれのテーマに沿った外観に目をうばわれる。ヴェネチアを過ぎるとパリになり、向かい側にはマンハッタンの高層ビル群とスフィンクスが空を見上げている。「テーマホテル」などと呼ぶのは失礼なほど、どれもその国そのものだ。パリスのシンボルであるエッフェル塔はオリジナルの2分の1のサイズで、ライトアップのデザインまで同じというこだわりぶり。ヴェネチアンの敷地では石畳の中世の世界が広がりドゥカーレ宮殿の回廊が見事に再現されている。
眠らせない街 ラスベガス
12のビルが立ち並ぶニューヨーク・ニューヨークは、1930年代のマンハッタンがテーマ。セントラル駅や税関所などの歴史的建造物が再現されている。最新技術を駆使して古代エジプトの世界をよみがえらせたルクソールも素晴らしい。古代にタイムスリップしたかのような内部ではエジプト美人がお出迎えしてくれる。まるで1日で世界旅行こんな街は他にはないだろう。宿泊客以外お断りなんて言わないのがラスベガス。どのホテルも大きく入口を開いて誰でも迎え入れてくれる。趣向を凝らしたレストランやカジノ、プールやアトラクション、そしてこの街ならではの数々のショーなどで大人も子供も思い切り楽しめる。眠るなんてもったいない。24時間眠らない街は私たちを眠らせないようにありとあらゆる誘惑をしかけている。
カジノ
ラスベガスへ来てゲーミングをせずに去ってはいけない。ラスベガスで一番有名なものといえばやっぱりカジノ。しかも街じゅうが明るく開放的なカジノである。ゲーミングが初めてでも、英語がたいして話せなくても大丈夫。ラスベガスのカジノはとてもカジュアルでドレスコードもなく、しかも治安もとても良い。女性一人でプレイする姿も多く、お年寄りも皆でいわいと気軽にゲームを楽しんでいる。見ているだけでも楽しいが、やはり実際にやってみてその楽しさと雰囲気を味わっていただきたい。一夜にして億万長者、そんな夢がかなうのも、ラスベガスならではなのだ。
交通手段
ホテルめぐりにショッピング、カジノの合間のバーも楽しい。早起きした日は校外へ足を伸ばしたりと、どこへでも比較的楽に行けるラスベガスだが、ただ外を歩くのは楽じゃない。昼間は40度の暑さ、夜も遅くまでその余韻は続いている。水なしではとても歩けない。だがそこはさすが”エンターテイメントの街”、様々な移動手段が用意されている。あなたの気分によって使い分けてみよう。
ダウンタウン
かつては街の中心であったダウンタウンは観光の中心がストリップに移って以来すっかり目立たない存在になっていた。このエリアに再び人を集めたのはアーケード街の無料ショー「フリーモントストリート・エクスペリエンス」。数分間にわたってアーケードの天井で光のショーが繰り広げられる。これを目当てに集まった観光客によってダウンタウンに活気がもどってきた。さらにゴージャスなストリップのカジノとは違い、地味ながらリーズナブルな昔ながらのカジノもあり、地元の人やカジノ好きという人達は好んでここへやってくる。いかにもアメリカの田舎の人やお年寄りがカジノを楽しんでいる姿は、これが真のラスベガスといった雰囲気だ。何日か滞在するのであれば、ダウンタウンに泊まってみるのもいいのでは。今までと違うラスベガスを発見できるかもしれない。
取材を終えて会場のリビエラを出るのは連日深夜におよんだが、外は相変わらずの暑さが続き、まるでエアコンの室外機の横に立っているような感じだった。その時間でも観光客はカジノやショッピングへと街の通りを行き交じり、依然活気は衰えていない。会場ではまだ試合が続いている事を思うと、まさに眠らない街、眠らせない街ラスベガスこそ滞在型ダーツ大会に相応しいのかもしれない。
今大会での日本人参加者は180名ほどになる。以前より参加しているプレイヤーに話を聞くと「信じられない、数年前迄は数える程度しか日本人は居なかったよ」という答えが多く、改めてダーツブームの大きなウェイブを感じる事となった。
プレイヤーの多くがダーツバーオーナーやディーラーの方々と一緒にグループで来ているケースが多く、会った人に片っ端から声をかけてみた。それにより現在のダーツブームを一過性で終わらせないように日本各地で様々な取り組みが行われているという実体を知った。ダーツの先駆者は若手を育てる為に自分の経験を伝授する努力をし、若手はその意見を聞きながら独自のダーツを確立しようと試行錯誤を重ねている。この大会の経験は語り伝えられきっと来年の新たな飛躍に役立てられることだろう。
386個のトロフィーは各国のウィナーに渡った。その喜びは後からひしひしと込み上げて来る。敗れた者は来年のリベンジを誓って練習を始めている事だろう。
今回各国のダーツプレイヤーに会って、個性あるダーツを目にしたが、それぞれの文化の違いがあるように日本人には日本人に合ったダーツの型があるのかもしれないと考えたりする。
しかし、この取材疲れた…ゆっくりするか……。