Vol.84 「世界のハシモト 天国へ」
DOLLiS 灰田 裕一郎

2017年3月

日本ダーツ界を牽引してきたトッププレイヤー、アニーこと橋本守容プロが2017年3月13日に亡くなられた。享年40歳という若さであった。日本を代表するダーツプレイヤーの突然の訃報は日本ダーツ界のみならず、SNSを通して世界中に伝えられた。

亡くなる一週間前、橋本プロの地元岡山ではJDO岡山大会(スティールダーツ)が初開催され、会長である橋本プロはジャケットを羽織り開会の挨拶を、そして試合が始まると選手として元気な姿をみせていた。その時の笑顔がまだ鮮明に残っていただけに、突然届いた悲しい知らせを自分はどうしても信じることができなかった。

橋本プロは日本ダーツ界が誇る最高のプレイヤーの一人で、ソフト・スティール共に伝説を数多く残した。ソフトダーツプロツアー・DーCROWN時代には、あまりに強すぎて誰も勝てない橋本プロに対し、打倒アニー!と称した「チーム マタギ」というシールが作られた。会場にいるプロたちがみな、マタギシールをユニフォームに貼って戦い、何時しか「アニーvsプロ全員」という構図ができ上がった。橋本プロがいかに強かったかを象徴するエピソードだ。スティールダーツでも勿論、素晴らしい功績を残している。  PDJ初代チャンピオンとしてPDCワールドチャンピオンシップに出場。日本人として初めて予備予選に勝利し、本戦出場を果たした。この快挙に日本のダーツシーンは歓喜した。それは世界への扉が開いた瞬間でもあった。

日本人でもやれる!橋本プロがそれを私たちに教えてくれた。そして特筆すべきは、初勝利を挙げただけではなく、本場イギリスの観客たちをも魅了したことだ。遠い日本から来たチャンピオンのダーツに会場であるアレクサンドラパレスもヒートアップした。試合後には「ハシモトコール」が鳴り響き、TV解説陣はニューヒーローの誕生だ!と橋本プロを褒め称えた。それは橋本プロのダーツ技術だけではなく、彼の人間性が目の肥えた観客達の心を動かした証であった。

橋本プロの葬儀には多くのダーツ関係者が参列した。誰しもが、心の整理がつかない状況での葬儀であったと思う。さらに驚くべきは、その夜、フジテレビの報道番組「ユアタイム」のエンディングで橋本プロの追悼映像が放送された。彼がいかに影響力のある選手であったか、そして、彼の人柄が素晴らしいものであったか、映像からも伝わる素晴らしい内容であった。ダーツを知らない人たちにも橋本プロの功績を知ってもらえる機会が作っていただけたことに、放送関係者の方々へ感謝いたします。

そして橋本プロが世界のハシモトであることを改めて感じさせてくれたのが、PDC公式ページでの訃報記事が掲載されたことだ。EU圏外のいち代表選手のことをPDCが公式サイトのトップページで扱うことは、極めて異例なことである。いかに橋本プロがPDCで認められ、本場のファンに愛されていたかを知ることができた。

また逝去後に行われたPDCプレミアリーグ第7週では、橋本プロと同じ入場曲を使用しているエイドリアン・ルイスが入場した際にテレビ中継ではテロップと会場のモニターに橋本プロの逝去を伝えるメッセージが解説者のコメントとともに全世界に伝えられた。会場ではハシモトコールが起こり、解説者も「Hashimoto, great man, great character. We will miss you.」と彼の死を悲しんだ。

日本でも愛され、世界でも愛された偉大なダーツプレイヤー橋本守容。彼が与えてくれた、たくさんの感動は、今後のダーツ界でも語り継がれていくことだろう。ご遺族をはじめ、ご関係者様には、心からお悔やみ申し上げます。最後に。アニー、あなたは本当に素晴らしいダーツプレイヤーでした。ありがとう、さようなら。