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No.13 私のダーツ史 1

2013年5月

前号でこの雑誌も10周年を迎え10年間の歴史を振り返っていました。私自身もここ最近、ダーツを始めた頃の仲間や店を立ち上げた頃のスタッフにたてつづけに会い、自分のダーツ歴を思い起こすきっかけが有りました。
今回から数回にわたり私のダーツ史を書きたいと思います。一人の男のダーツに関わった歴史を見る事で、地方のダーツ状況が伝わるんじゃないかと思います。

私が初めてダーツをしたのは、多少曖昧ですが2001年12月くらいだったと思います。仲のいい飲み屋の店主とビリヤードに行ったのですが、そのビリヤード場にダーツが置いてあったのが最初。松本では最初のソフトダーツ設置店でしたね。
面白いとは思いましたが、ダーツにはまるほどでは有りませんでした。当時は飲み歩きが趣味で毎晩遊んでいましたから、ダーツどころではなかったのが本音。

翌年2月にその仲の良かった飲み屋にソフトダーツの機械が置かれる事に。その店がIMA-GINEを始めるまで私のホームとなるNORTH GROVE。
店にダーツを置く事を相談された時は反対したんですよね。酒を飲む時は静かに会話を楽しみながら飲みたいと思っているので、機械の音がうるさい店で酒は飲みたくないですから。
ダーツが置かれてからはNORTH GROVEには足が遠くなりました。週2回位行っていたのが、月に2回も行けばいい方でしたね。
そして4月くらいかな?たまたま行った時に店が混んでいて、ダーツを投げたいお客さんの相手を誰も出来ず、頼まれてマスターのダーツでそのお客さんの相手をする事に。かなり投げた後にマスターにダーツを返すと「沢山投げたんだからそのダーツ中古価格で譲るから買ってよ」と一言。
ヒドイ人でしょ(笑)。騙された感たっぷりでした。それが初のマイダーツとなるBUZZとの出会いです。
しかし、マイダーツを持つと頑張りたくなる性分なのか、飲み屋に行く回数が減りダーツをしに行く回数が増えていくんですよね。通うに連れてNORTH GROVEでダーツ仲間が出来ていく。
今思えばこの頃が一番楽しかったな。仲間ができるとダーツの腕もですが、道具に対しても競うようになるんですよね。友達が東京のNOZでダーツを買ってくると、自分も負けじと東京まで行きディーアーツでダーツを買いました。
それがボトルセンのGT。カットが無く、しかもシャフトが専用の物しか使えないダーツでした。この頃は関東でもダーツショップは3軒位だったかな、ネットショップも3軒くらい。
国産メーカーは未だ無く、溜モデルと呼ばれるダーツが作られる前後の事です。GTを買ってから完全にはまりましたね。通販でWINMAUのBlade2を買って、家で練習してからダーツバーに投げに行く毎日。
負けるのは嫌いですからね。

この頃地方では今みたいな大きな大会は全く無く、ハウストーナメントが有ると県内各地からダーツ好きが集まって来ました。ソフトダーツのスタートが早かった事も有り、松本よりも長野や白馬のメンバーの方が強かったんですよね。
悔しくて仲間を誘って長野や白馬まで何度も遠征に行きました。基本的に勝負に行くんですが、ダーツが有れば直ぐに仲良くなれるんですよね。
山梨のMonkey Rottenの人達と知り合ったのもこの頃でした。この当時知り合った仲間には、ライバルでありながら同志って意識も持っていましたね。
まだ地方では根付く前のマイナーなスポーツを、お互い目の色変えて必死にやっていたんですから。ダーツを教えてくれる人も居ないし、今のように動画サイトなんて無いし、勝負の後は投げ方について熱く語り合いましたね。

2003年3月9日にTDOの招待で東京の大会にフィル・テイラーが来る事に。どうしても生でフィルを見たかったんですよ。
まわりに誰もスティールダーツをやった事がある人が居ないのに、大会に出る為に仲間と練習を始めます。ダブルアウトする事位しかルールもマナーも知らないんですよ。
ソフトダーツと同じ感覚でいるから4人でシングルスをしたりしていました(笑)。4人で大会にエントリーをするのですが、大会で恥をかいてはいけないと思い前日スティールダーツを投げられる店に練習(偵察かな)に行きました。
行ったのが板橋のPalms。いつものように4人で投げ始めると「ダーツは一対一で投げるものだよ」と注意を受けます。馬鹿でしょ~(笑)。
その時隣のボードで投げていたのが、坂本一郎さんと西川興治さん。その他にも人は沢山居たと思うのですが、今覚えているのはこの2人が投げていた事だけ。ともかく、隣でやっている事を真似しようと必死でしたね。
そして翌日の大会本番。勝つ事よりも、とにかく無難に済んでくれたらと必死でした。
そんなチビリながらやっているのに、運の悪い事にダブルスの対戦相手がショーン・リードの友達らしく、初のスティールダーツのゲームなのに後ろにデカイ外国人が見ているわけです。
大会では静かにやるもんだと想像していたのに、いきなり後ろで外国人が「カモーン!」と声を張り上げるわけですから、こりゃあ大変な所へ来てしまったと反省すらしました。しかもこの日の大会はショーンが優勝して、フィルとエキシビジョンマッチをしたんですよね。
私の初スティールダーツに彼が立ち会っていた事もあり、2011年にショーンがPDCに出た時には非常に感慨深かったですね。

この頃のダーツ関連のインターネット・サイトは非常に少なかったですね。有名な所をあげると筆頭は「英国流ダーツの薦め」でしょう。それから「しのじのHP」、小森英司さんの「大王の科学で勝てるか」。どれも非常に参考にさせてもらいました。
「ダーツナビ」がスタートしたのもこの頃じゃなかったかな?しのじさんのHPには掲示板があり、2002年秋くらいに「綱嶋良信が練習で9ダーツ達成」と書いてありました。
直ぐに綱嶋さんに会いたいと思い、10月に蒲田にあるD-COASTに行くのですがその日は運悪く休み。半年ほど経った2003年3月31日に再び彼に会いに行く事に。その前に昼間、築地のFiGAROに行ったんですよね。
河田慎弥さんと初めて会うのですが、慎さんにはその日もその後も色々と教えていただきお世話になっています。
その時に創刊されたばかりのNew Darts Lifeもすすめていただき購入しました。本誌との出会いは築地FiGAROだったんです。
そして夜は当時綱嶋さんが働いていた横浜のCASINO DRIVEへ。やっと綱嶋良信に会えました。この年彼はWDFワールドカップの日本代表になるんですよ。

フィル・テイラーを見た事、綱嶋良信に会った事、ダーツの情報サイトが少ない事から自分でダーツに関する情報を発信していこうと思いたちます。翌週の4月7日には「DartsFan松本」というサイトを立ち上げました。直ぐに行動して1週間でHPを作っていますから本当に夢中だったんでしょうね。
掲示板・初心者の為のダーツ講座・IMA-NOダーツ日記の3本がサイトの柱。掲示板は多くの方に利用いただきました。地元の人間は勿論ですが、ダーツ掲示板も少なかった事から全国のダーツプレイヤーからの書き込みもありました。
Jonnyや吉永雅敏(当時のHNはアウトロー)にはこの掲示板で最初知り合ったんですよ。
Jonnyが初めて書き込みをしてくれた時には本当に興奮しましたね。IMA-NOダーツ日記も楽しんでくださった方が多かったようです。
今はブログやSNSでその日のダーツ記録をしている人は沢山居ますが、その当時は皆無でしたからね。各地のダーツバーに行ってダーツをした後にDartsFan松本の名刺を渡すと、「日記見ていますよ。想像よりもダーツ下手なんですね。」と結構言われました(涙)。

個人の作ったHPが全国に届いてしまう程、10年前はダーツの情報が少なかったんですよね。特に地方はダーツの情報に飢えていたと思います。
それを何とかしようと思ったのは私だけでなく、同時期にHPを作った人やフリーペーパーを作った人が大勢いたんですよね。後にSAMURAIを立ち上げる上田康一郎さんもそんな中の一人でしたね。
黎明期だっただけにエネルギーがあれば素人でも色々な事が出来た時代でした。

次回はそんな素人だった私が業界に関わっていく話を書きたいと思います。

ダーツ屋どっとこむ よろしくお願いいたします