No.67 本当に長らく書かせていただきました

2022年9月

今号で私のコラムも最終回となります。調べてみましたら2011年10月号から書いていますので、丁度11年を超えたところでの終了となりました。
私が脳梗塞で休んだ事もありますし、コロナ禍で休刊もありましたので67回目のコラムなのかな。本当に長らく書かせていただきました。

最初の頃は書きたいテーマがたくさんあり2ページに文章を収めるのが大変な事もありましたが、このコロナ禍は書くテーマを考えるのも大変な状況でした。
当初は毎月自分で試合に出るとともに、サポート選手の試合を見に行っていましたから人よりも多くダーツの試合を見ていたと思います。選手のその日の調子も分かりますし、試合以外の部分で喜怒哀楽も感じられていたとは思っています。
コラムスタートの頃は会場に行くかPDCのテレビ中継を見るくらいしか、ダーツの試合を見る方法はありませんでしたし生で試合を見るのは凄く勉強になりました。しかし現在ではPDCの中継はもちろんですが、多くのトーナメントが動画サイトで見る事ができます。
ダーツを見るって事に関しては、凄く良い環境になりましたね。

私の過去のコラムをパラパラとチェックしてみました。最初のコラムは2011年に開催されたBDOワールド・マスターズに行った話を書いていますね。
ワールド・マスターズは前年も行っていて、2回目の応援でした。
イギリスのハルという人口26万人の街で開催されていたのですが、のんびりとした雰囲気で良い街でしたね。
私は英語が出来ないのでマネージャーとして行ったのですが全く役に立たず、逆に英語の出来る選手に頼りきりでした。
やはり世界に出るには挨拶程度でもいいので簡単な英会話が出来る事は必須だなと感じました。プロスポーツの世界だけでなく、世界で活躍しようと考えたら英語またはその国の言語を理解する事は必要ですよね。
現在はPDCでもWDFでも大きな大会にはLーSTYLEがスタッフを派遣してサポートをしていますが、こういうバックアップは選手にとっては非常に心強いでしょうね。

そうそう、この雑誌の編集長と初めて会ったのも海外でした。2004年7月にラスベガスで開催されたメダリストの大会での事です。
この大会の前にDー1という新しい国産ダーツマシーンが発表され、ダートワールド系列のディーラーやお店がそちらのマシーンを使う事が予想され、ダートワールド系のお店や選手にとっては最後のラスベガス大会になる事で多くの日本人が参加していたんですよね。
私たちは仲間と4人でメダリスト・ジャパンのツアーで参加しましたが、会場に行くとダート・ワールドのツアー、タイトーのツアーと3つのツアーで約200人の日本人が参加していたようです。

200人も居るといたる所で日本人を見かけますし、大会での対戦もありました。ポール・リムも居てダーツを教えてもらったりしましたね。
ポールはしきりに「ストレート」と説明してくれるんですが、我々は「ポールさん腕は真っ直ぐじゃないよね?肘が外に出ているし。」と頓珍漢な理解をしていました。今思えはターゲットに対するダーツの運び方の事なんですが、当時は投げ方の形ばかり気にしていたから理解できませんでした。

そんな中で編集長に声をかけていただき写真を撮ってもらったんですよね。その時は雑誌に写真が出るかもと楽しみにしていた事を覚えています。
編集長との再会は実を言うとはっきりは覚えていないのですが、Dークラウンかパーフェクトの会場で声をかけてもらったんだと思います。私がやっていたダーツファン松本というサイトやダーツ屋どっとこむのサイトを見て、編集長からコラム書かないかと話をもらいました。

当時は今のようにコラムを書く人は多くなく、浅野ゆかりさんとKTM.さんだけだったと記憶していますが、その二人と肩を並べて文章を書くんですよ。
嬉しい話ですが凄く緊張しました。色々なテーマで書きましたね。ダーツで遠征、プロ選手とお金の話、海外でのダーツの話、ダーツ用品紹介、風営法と賭博罪、ワールドカップ、編集長とイギリスに取材の旅に行った話、等。脈絡無しにその時書きたい事を書いていますね。

2013年2月には本誌が10周年という事でイギリスに取材旅行に一緒に行かせていただきました。
PDCプレミア・リーグ3週目の取材、プレミア・リーグ参加選手インタビュー、PDC UKオープン・クオリファイアーの取材、ユニコーン・ハローズ・ターゲット3社の訪問。どれも貴重な体験でした。

中でも一番忘れられないプレミア・リーグの話。ユニコーンにホテルの手配をしてもらっていたので、ホテルは選手と同じでした。試合後にバーで飲んでいると選手が飲みに来るんですよ。日本で開催されるスーパーダーツに多くの選手が声をかけられているようで、どうなのか逆に質問されたりもしましたね。「別物だから出ないと思う」の意見が多く、やっぱりそうなりましたね。その晩ただ一人フィル・テイラーだけ見かけなかったんですよね。
翌日朝食を食べに行くと通された席は、フィル・テイラーとギャリー・アンダーソンの隣の席でした。

編集長が「ちょっと言えない話をしているよ」と私に教えてくれます。フィルは前日のプレミア・リーグの後に、ターゲットの社長に誘われ食事をしていたんだとか。
そこでは移籍の打診をされていたんですよね。
歴史は夜作られますね。フィルは我々にも内緒だと念を押しますし、当然ながらこの話は公には出来ませんでした。
その後フィル・テイラーのターゲット・ダーツ移籍が発表されるのですが、確かフィル・テイラーがターゲットのユニフォームで映る本誌の発売が正式発表よりも2日程前だったんじゃないかな?

雑誌の商品ページを作り、SNSにそれを載せたら海外からの反響がかなりあったように記憶しています。
楽しかったイギリス取材の旅でしたが、オフレコとなったこの話が一番記憶に残っています。

編集長とは大会会場では打ち合わせをしたり、飲んで話をしたり色々としましたが、実はダーツ会場以外でお酒を飲んだ事が旅のイギリス以外では一度しか無いんですよね。
台風で大変だったPDCチャレンジの決勝戦の後だったと思います。編集長とザッカの原田健さん、私の友人の和田圭司の4人で居酒屋に行ったくらいでしたか。
コラムニスト集めて忘年会したいなんて話もありましたが、コロナ禍ではずいぶん昔の事のような気がします。

長らく私のコラムにお付き合いいただきありがとうございます。
現時点では県外の大会への参加や観戦はなかなか難しい状況ですが状況が変わりましたら、また遠征はすると思いますので、どこかの会場で見かけたときにはお声がけをお願いいたします。