2005年3月号
本格的なアジア大会開催
2005年1月14日より16日までの日程で第一回ブルシューター・アジア・トーナメントが香港で開催された。過去、いろいろな海外の大会を取材してきたが、アジアで開かれる本格的なソフトダーツの国際大会なだけに出発前より期待は大きかった。参加国はどのくらいだろう?参加プレイヤーの面々はどんな人達?アジアのソフトダーツのレベルは?読者の方々も知りたいことは多くあるのではないだろうか?
この大会が特に興味深い理由は、何と言っても香港という地にある。ご存じのように香港は英国領であった歴史が長く、その影響でスティールダーツはかなり盛ん。最近返還されたばかりであるが、いまだ英国色の強く残るこの香港で、ソフトダーツの本格的なトーンメントが開催されることは、改めて歴史がめぐっていることを考えさせられる。また昨年PDCの大会が中国で開催されたことからも、アジアにおけるダーツのブームが飛躍的に伸びていることは今や周知の事実だ。スティールは英国、ソフトはアメリカとすでに定着している欧米諸国に比べて、今脚光を浴びる地域は何と言ってもアジア…。
そして絶妙のタイミングでの、ここ香港でのトーナメントは注目せざるえない。来年からも定期的に開催されていくであろうこの大会は、同じアジアの日本からも参加しやすい場所であり、気軽に国際大会に参加したいプレイヤーにとっては絶好のトーナメントとなるのではないだろうか。
初日はアジア地区交流試合
ちょっとした肩慣らしの意味合いが強く、プレイヤーも観客も少ない。また8時過ぎには終了したのでプレイヤーはそれぞれ香港の町に消えていった。この日はプレイヤーがトーナメントの場所や空間、雰囲気をつかむために、そして長旅の疲れを癒すための重要な時間となったことだろう。いきなり、本番が始まったとしたら、遠方からのプレイヤーにとっては絶対に不利なだけに、香港の開催スタッフの思いやりが感じられた。
二日目、三日目は各試合が本格的に開催される
いよいよ試合が始まったという緊張感が感じられた。プレイヤーはリラックスはしているが、当然プレイは真剣そのもの。会場内には時々大声援もこだまし、時間が流れるにつれ、いやが上でもヒートアップしていく。
そしてこの日のメインイベントはなんと言っても国別対抗戦。やはり国旗を背負ってのプレイは特別だ。プレイヤーもいつもより緊張し、平常心を保ちにくいのもこの試合だろう。日本は見事優勝を勝ち取ったが、各プレイヤーのプレッシャーはかなりのものではなかったかと思われる。安食選手はこのプレイで自分の力を出し切り、次の日の試合では疲れて、いつものプレイができなかったほどだ。国別対抗戦の今までの多くの経験を買われ、キャプテンとして選ばれただけに、その心の葛藤と責任は、さぞ重かったのではないだろうか。
会場の雰囲気はどんな感じで、どんなプレイが繰り広げられたのか?日本からは応援も含め、50人以上が香港に出向いたのだが、会場でも一番目立つ国であり、また結果も残した。大きな要因として、日本人プレイヤーは大きなトーナメントに馴れているということが上げられるだろう。世界広しといえ、1000人規模のソフトダーツトーナメントは、それほど開催されていないのだが、今の日本では毎月のように各地で開かれている。そのためステージ上でも落ち着いてプレイできるようになった。平常心をキープするコツみたいなものをプレイヤーそれぞれが取得したということなのだろう。そして、ゲームで競う機会が多い日本人プレイヤーは、確実にレベルを上げているという事実。英国ダーツプレイヤーもダーツの上達法において多くゲームをすることを勧めている。ただダーツを綺麗に投げるということから一歩前進、ゲームに勝つという次のステップに移行しつつある。この大会はそんな実情を証明、見事に開花、ほとんどのプライズを独占する結果となった。
大会はいろいろな点で大成功だった大会だと思う。第一に各プレイヤーがとてもリラックスしているにもかかわらず、見応えのある試合が多かったということ。今回の大会には世界の中でも強豪のアメリカとオランダが参加しなかったのが残念だが、ステージでの試合は熱い戦いが何試合も行われた。
また、様々な国が集ったが、とても和やかな空気と爽やかな雰囲気が印象深い。これは香港スタッフの努力によるものだと断言できる。参加したプレイヤーもさぞかしプレイしやすかったことだろう。参加人数も多く、圧倒的と言っても過言ではない強さを誇った日本人チームは中心的存在、試合の合間には随分とおどけて会場の人気者となっていた。
言葉の通じない各国のプレイヤーとの対戦だが、どのチームも終わると記念写真を撮っていた。同じアジアの日本とは違い、香港という地はヨーロッパからはかなり遠い。彼らにとってこの写真はまさに「ダーツで異文化の地、香港に行ったという証明」だ。これを機会に新しい人間関係が築かれるのはまちがいない。本誌にも現地で会った各国のプレイヤーから、メールが何通も届いている。
最後にこの大会が素晴らしかった事として、進行状態が上げられる。運営上では数々良かった点を上げたが、スケジュールも完璧だった。ほぼ、事前にもらっていたタイムスケジュール表通りに試合は進行し、プレイヤーが長く待ったり、深夜に試合が及ぶ事など全くなかったのである。香港ブルシューター代表、ジョセフ・クゥオン氏の事前準備がどれほど緻密で時間をかけて計画されたものかを知ることができた。
国別対抗戦は各国の国旗を掲げたプレイヤーの入場で始まる。これはなかなか楽しく、また派手だ。その瞬間をカメラにとらえようと会場内は一斉にフラッシュがたかれ、そして大声援がそれに続く。スポーツなんだと認識できるこの瞬間が実に心地よい。
どの国のプレイヤーも笑顔を浮かべ、一列で会場に入場してくる。それぞれ自国で戦い選ばれた者なのだから、この時に全てを賭けているプレイヤーも多いことだろう。さて、各国の様子はどうだったか…。
日本についで多くのメンバーが参加したのは、ドイツ。カメラに一生懸命な面々が多く、いつまでも「こっち向いて」などと言ってやたらに写真を撮っていたのがなんだか微笑ましかった。意外にも英語が話せるプレイヤーは少なく、コミュニケーションを取るのに苦労したが、パソコンも持ってきていて、デジカメで撮った香港名所記念撮影を見せてくれた。しかしダーツは真剣そのもの、負けた時は周りを気にせず正直に悔しさを表していた。
人なつっこい国はフィリピン。メンバーはいつもまとまって会場内を移動、食事も一緒、試合の時はもちろん全員で応援、結束の強さが感じられた。試合の合間に顔を会わせると、日本のダーツ事情についてあれこれ質問された。フィリピンはハードダーツの強い国、この参加選手たちも、あまりソフトは投げた経験がないので今回は結果を残せなかったが、将来性は十分あるだろう。
ノルウエーからはWDFのランキングで上位の選手も来ていたし、中国はソフトダーツというビジネスに真面目に取り組みたいと言っていた。またスペインの選手は個性的だったし、台湾の選手たちは日本の選手のフォームの綺麗さにただ感心していた。
最後に、一番多くのプレイヤーが参加した開催国の香港…世界のプレイヤーに対して最大限のもてなしで迎え、ホスト国として十分その勤めを果たしたといえる。最終日のパーティーでは、すべてのテーブルをくまなく周り、プレイヤーと乾杯、自分たちの気持ちを伝えようとする姿には頭が下がる思いと共に感銘を覚えた。日本でもしこのような国際大会を開く機会があったら、絶対に恥じることがないようにしたい。いや、それ以上の歓迎をしてあげたい思いに駆られるのは、当然のことだろう。
全試合で日本チームは上位に入賞、おおげさでなく、まさに日本の独壇場だったと言っていい。
クリケットゲームで佐藤選手が惜敗したが、それ以外は全プレイヤーが実力を発揮し、世界に日本のダーツを知らしめた。谷内選手の男子シングルス戦、大内選手の女子シングルス戦は、少し余裕も感じられるほどで、国際試合では最高の成績を収めることとなった。
最も印象に残った試合は佐藤選手と谷内選手が組んでのダブルス戦だろう。相手は強敵のスペインチームだったので、試合は素晴らしい接戦で進み、両方がフリーズをかけ合う展開に。最後に谷内選手が驚異的な集中力を披露、最後のダーツが15トリプルに突き刺さると会場は大声援で沸き上がった。谷内選手はハンサムな青年なだけに、この後は各国女性ファンから黄色い声援と熱いまなざしが注がれるようになった事は言うまでもない。日本人ヒーロー登場となるか?これからの彼の進歩に期待したい。
女子では大内選手の活躍は特筆すべきものがある。最近、日本でも彼女の実力は数々の試合で証明され、本誌でも期待のホープとして取り上げたほどだ。
次のステップはソフトで世界最強の打倒オランダ、そしてアメリカだ。
会場を替えて、月曜日にパーティーが開かれた。食事はもちろん広東料理…フカヒレのスープ、子豚の丸焼き、魚に野菜…のフルコース。香港チームはすべてのテーブルを回り、プレイヤー達に酒を振る舞い、乾杯。この日、世界から集まったプレイヤーは香港の夜を堪能し、再会を誓ったことだろう。
香港スタッフの挨拶、そしてブルシューター日本、ヨーロッパ、スペインなどそれぞれがステージに立ち、マイクでお互いの健闘を讃え、喝采と共に夜は更けていく。最後に香港のリーグ戦のトロフィー受賞があった。このリーグ戦という形式、日本でも各地でスタートしているのだが、いろいろな意味で重要な鍵を握る。日本ではハードダーツもソフトダーツも各派閥やグループがあり、一枚岩とはなっていないが、ここ香港は地域も小さく、人口も少ないため、ハードもソフトも協会は一つ。各地域でリーグ戦を行い、勝ち上がった選手が最高の栄誉を最後に得て、全員の祝福を受けるという誠にシンプルな状況だ。日本においても、このリーグ戦という形式が浸透すると、さらにダーツという競技が広まる可能性がある。
香港のこの大会、来年以降は日本人が大挙して参加する大会にしたい。ホスピタリティーも素晴らしければ、大会の内容も良い。本誌は日本、アジア、世界、いろいろな観点から、これからもダーツという競技を見つめていきたい。
ダーツにおいてアジアのプレイヤーや市場が一気に注目を集めつつある中で、この第一回ブルシューター・アジア・ホンコン大会の担う役割は、これから益々大きくなっていくように思われる。
まずこの地がアジアのどの国からも均等な距離にあること。日本だけは少々離れているが、この地の利の良いという点は、見逃せない。忙しいプレイヤーも多いなか、気軽にエントリー出来るということを十分に告知すれば、自然に参加者・参加国は増えていくことになるだろう。
そして、ホンコン・ブルシューター関係者が素晴らしいこと。今回の大会においても企画、運営、進行すべてほぼ完璧だったが、それはダーツに熱い面々がいるという証拠だ。今回、参加した各国は必ず来年もエントリーするだろう。
課題としてはいかに参加国の足並みを揃え、より大きな国際大会に出来るかということだ。参加者が増えると、そのプレイヤーは次回への期待も大きく膨らむもの。それを満足させながらホスピタリティーを提供していく仕事は、さぞかしたいへんな事ではないか。
すべての要素がかみ合えば、何時かはオランダやアメリカも加わり、世界屈指の大きな大会になる可能性も秘めている。では、再会を誓って。