2016年9月
投げ方や持ち方、バレルの形状などダーツに関する情報は無数に存在しますが、
自分の知識になった時、どのように利用したらよいかを考えてみました。
インターネットで「ダーツ」に関する理論を検索してもゴルフや野球などのスポーツに比べると情報量はまだまだ少ないと思います。他のスポーツには存在するレッスンプロやインストラクターの存在も少ないため、ダーツが上手になる方法に出会う機会は少ないのが現状だと思います。
日本でソフトダーツのプロ制度ができてまだ数年。長期現役として活躍できるスポーツですから、元プロ競技者と呼ばれる方に色々な理論を教えて頂けるのはとうぶん先になると思います。現役選手は「勝つため」に、考え、投げる、の繰り返しをしているわけで、自分以外の人に「教える」為にダーツを投げている選手はいませんからね。中には「勝つため」と「教えるため」の両方ともに優れた選手もいると思います。
それでも、今、すぐに、ダーツが上手くなるための方法が知りたいと思ってしまううわけで…。その気持ちをどのような行動に持っていくか、それが今回のテーマです。
知識や理論などの情報は、ダーツの事を理解して、練習を続ける為の「動機」であって、上手くなる「方法」ではないと思っています。逆に、「方法」は繰り返しの練習や、自分の考察によって、得たものから生まれるものだと思ってます。
例えば、綱渡りの仕方や理論を勉強して取り入れても、急に綱渡りができるようにはならないと思います。ダーツには、偶然成功してしまう場合もありますが、綱渡りの場合はそれはないに等しいでしょうからね。
特にダーツはたくさん投げるという反復練習がベースとして大変重要だと思っています。反復練習を続ける中で並行して上手に情報を得て、使ったり自ら検証していく事が大切だと思います。
頭の中で「こうすれば、こうできる」と思っていることが、その通りにできると勘違いしていることってあると思います。頭では理解していても、身体が同じように理解し、動作できるまでには時間がかかるということです。
どんなスポーツでも、日頃の反復練習は上達のために欠かせない要素だと思います。練習としてひたすら投げ込む、これも正解でしょう。
しかし、同じ練習をひたすら続けるというのも正直大変だと思います。
投げる行為を増やす方法として、自分の店では、総当たり戦を定期的に開催しています。簡単に言えば大きなロビン。
ある程度のレベル分けはしますが、とにかく色々な人と数多く投げる。エントリーすれば数多くの試合が出来るというコンセプトなので、参加者が自由な温度差で同じ一つのイベントに参加してもらっています。
自分の目的に合わせて参加し、数多くの試合を行うのですが、何度か開催する中で、ダーツのレベル差が試合数にも表れるように感じました。
上位グループは、10試合くらいは難なくこなせるのですが、下位のグループになってくると、8試合前後の試合数で満足しているように感じました。それ以上になると、試合に集中できない人が多いようです。
これは基礎体力や試合時間だけではなく、投げる行為に対して消費する体力と気力の差なのかなと思いました。上手なプレイヤーは、楽に投げ続ける行為が意識しなくてもできているのかもしれません。投げる行為自体にあまり大きな神経を使っていない為、集中力も持続させやすいのかもしれませんね。
楽に投げられるからレーティングも高くなるのか、レーティングが上がってくるから楽に投げられるのか。どちらが先かはわかりませんが、そういった差を見ていて感じました。
ダーツの情報という部分にも共通していて、上手なプレイヤーは、数多く投げた経験をもとに、色々な理論や情報を上手に自分用に変換ができることができるのではと思いました。
逆に、投げて感じる経験量が少ない状態のプレイヤーは他の人の情報を自分用に変換できずに、見たこと、聞いたことを鵜呑みにしてしまうんじゃないかな。
例えば「歩く」という動作。これを「言葉で歩き方を説明してください」とたずねると、「まず足を出して、反対の手を同じように出して、次に反対の足を出して、反対の手も同じように出すというのを交互にする」といった答えが返ってくると思います。このように、目に見えるものだけを説明してしまいがちですが、実際には、まず「足」ではないそうです。
足を前に出す為に身体が行っている事は、まず立っている姿勢を崩すために身体の後ろ側(頭や背中など)の筋活動を緩めることで前に重心を移動させており、その結果バランスを取るために足や手が前に出ているそうです。
一歩足を出す時、「足を出す」よりも先に「頭が前に出る」と認識して歩きだす人はあまりいないですよね。頭で考えながら「歩く」動作をするとちょっと混乱したりもしますしね。
見えている事と、考えている事、実際に身体が行っている事はかならずしも一致しないという事実はダーツに例えてもいろいろあると思います。例えば、「ダーツを押すように投げる」という表現。これは本当にダーツを押しているのだろうか。押しているような感覚を言葉で「押す」と表現してしまっているだけで、実際には押していないかもしれない。しかし、それを聞いた人は頑張ってダーツを押そうとする。
上手な言葉や表現が見つからず、近くもないけど実際の動きや感覚とそう遠くない言葉を使っているだけかもしれません。
情報(言葉)を日常の感覚から解釈するのではなく、ダーツを投げる行為から得た経験を元に自分なりの解釈ができないと本当の情報とはなりえないと思います。
「歩く」という動作を意識しなくてもできるように、「ダーツを投げる」という動作を意識しなくてもできるようになるためには、やっぱりたくさん投げて、自らの経験を積み、情報を精査できるようにならないといけないのかなと思います。
ダーツを投げるという行為が「歩く」と同じくらい身体が理解して勝手に行動してくれれば、精度を上げる行為だけに頭を使えるようになると思います。その為には、数多く投げる事に勝るものはないと信じたいですね。