Sakai_column_Top-16

No.16 誰が優勝するかわからない顔ぶれ

2013年11月

またこの季節がやって来ました。PDCチャレンジ・ファイナルです。 今回も大会のスポンサーとして、そして清水浩明をサポートしている立場として会場に行ってきました。
今回はメンバーが非常に良かったですね。本当に誰が優勝するかわからない顔ぶれでした。やはりそれでも優勝の予想はしたりします。
自分がサポートをしている選手は除いて考えるのですが、編集長には事前の電話でJonny、知野真澄、小野恵太あたりがくるんじゃないかなと予想を話していました。まあ、見事に外れましたね。結果はご存知のように橋本守容が2度目の優勝。
本音では別の選手があのステージに上る姿を見たかったのですが、170や148のハイオフを決めて久々に強くて凄いアニーを見られたので満足です。
全体を見た印象ではアベレージが非常に高かったですね。全10試合中勝者がアベレージで80点を超えなかった試合は2試合だけでした。
ようやくお金をとって人に見せるだけの内容になってきたと思います。
ハードダーツの団体に関わる人間としては、今回もハードダーツを中心に活動している人達が優勝できなかったのが残念でした。清水も含めて他の選手も、もう少し出来たんじゃないかと思ってしまう数字です。
1回戦で対戦した清水と饗場の試合は4月にJSFDのエリメモリアルの決勝戦の組み合わせで、その時は両者90点前後のアベレージを残しているんですよね。
大勢が見ているイベントでの試合ってシチュエーションに不慣れなのでしょうか?ソフトダーツのプロトーナメントで優勝経験が豊富な人達との一番の差はそこなんじゃないかと私は思うんですよね。
いくらワールド・カップやワールド・マスターズに行っても勝ち残らないとステージ上での経験は出来ないですからね。
そう考えるとPDCチャレンジに勝つ為には、ソフトダーツをメインで活動した方が近いのではないかという発想も出てしまいます。
それだと本末転倒だよなあ。ともかく、橋本守容には頑張ってきて欲しいですね。
お知らせが有ります。清水浩明が
BDOのワールド・チャンピオンシップに、日本人で初めてアジア代表として出場する事が決りました。
正式には10月のワールド・カップの時に決まっていたのですが、発表がPDCチャレンジ・ファイナル後になりました。
PDCとBDOの関係に関してですが、日本のソフトダーツのプロのような別団体に出ては駄目という決まりは無いようです。ただ、お互いのワールド・チャンピオンシップの本戦だけは同じ年に出場できないようです。
もし、清水浩明がファイナルで優勝した場合両団体に対して日本から状況説明をする必要が有り、最悪どちらかをキャンセルしなくてはならない可能性もありました。
それを考えるとPDCチャレンジへの出場も微妙な状況で、PDJとJSFDの関係者の方々のご尽力があって今回は出場が出来ました。
その辺も踏まえて、日本の両団体には感謝するとともに、今後も良い関係を続けて欲しいなあと思います。
さて、そのBDOワールド・チャンピオンシップ(通称レイクサイド)ですが過去にフィル・テイラー、ジョン・ロウといった名選手が優勝してきた歴史のある大会です。
ポール・リムが9ダーツを達成したのも1990年のこの大会。
そんな大会に日本人として初めて出場するんですから今からワクワクです。対戦相手は既に決まっていてオランダのクリスチャン・キスト。
2012年の世界チャンピオンと最初から対戦です。非常に厳しい相手ですが、是非とも勝ち進んでいい成績を期待したいですね。応援宜しくお願いします。

Sakai_column_No.16-2

PDCチャレンジの翌日はパーフェクト横浜大会へ行ってきました。ダーツ屋どっとこむでサポートしている山本淳を応援する為に。
彼女は2012年の年間ランキングで5位に入る実力者で、今年はもっと上を狙うのが目標でした。それが2月末に生命に関わるような病気である事がわかり緊急入院する事に。
本人からは「本当にすみません。年末にはパーフェクトに戻りあのステージに立ちます。」と連絡をもらいました。
病気の事はあまりわからないのですが、調べてみると20年前には生存率の非常に低い病気のようでした。
現在では、完治はしませんが進行を止められるようになり、普通の生活は出来るようです。
しかしもうダーツは無理なんだろうと正直思いました。私は「いつでも待っているよ。復帰戦には必ず行くから。」としか返事が出来ません。
病気と戦う彼女にとって「パーフェクトのあのステージに立つ」って事がモチベーションになってくれればと祈るような気持ちでした。
子供の入学式にも病院から行ったそうですが、帰りは車椅子が必要な状態だったようです。
約3ヶ月の入院生活を経て退院。医者からは退院しても疲れる事はあまりしないようにと言われているようですが、彼女はそれでもダーツをやめませんでした。
外出するだけで動けなくなるような状態から、2時間くらいなら練習が出来るように。
そして彼女は9月の石川大会からパーフェクトに戻ってきました。復帰戦には行くと約束しておきながら、ハードダーツの団体に関わっている立場上行かなくてはならない大会が同日にあり約束を守れませんでした。
それでも彼女は試合後いつものように電話で報告をくれました。次の静岡大会も行かれず、3度めの正直でようやく彼女の試合を見に行く事が出来ました。こちらの想像を上回るような元気さで、素晴らしいダーツを投げていました。
3ヶ月ダーツを投げなかった事で悪い癖が抜けたのか、投げやすい楽なフォームになり柔らかさとしなりが有りました。
結果は準決勝で負けてしまい3位。私だけでなく彼女の事を知る多くの人が、結果はどうでも良かったと思います。
決勝戦ではありませんでしたが、山本淳がパーフェクトのステージ上に帰ってきました。
そのステージで元気にダーツをしている姿を見られただけで十分でした。
私もダーツが好きでダーツバーとショップを始めて、いまだに大会にも出ていますが、自分が同じ病気だったらと考えるとダーツが好きでも続けていたか正直なところ自信は有りません。
彼女は私なんかが計り知れないくらいダーツが好きで、そして負けず嫌いなんでしょう。ここまでくるには家族や多くの友達の応援や協力が有ったと思います。そんなまわりの愛情を感じながら、山本淳はこれからもプロとしてダーツを続けていきます。
パーフェクトの会場に行く事があったら、是非とも彼女に声援をお願いします。
スポンサーとしてではなく山本淳の一ファンとして、このコラムを読んで下さった方々へのお願いです。

ダーツ屋どっとこむ よろしくお願いいたします