2015年9月
歴史や時代背景が鍵
70年前日本は戦禍にあり、そして終戦を迎えました。当時欧米諸国は日本以外殆どのアジア諸国に対し植民地政策を取り、アジアだけでなくアフリカ諸国に対しても400年にも及び奴隷狩りを行ってきたのです。西洋人は当時のアジア人を卑下していました。それは文明の遅れによる貧しい暮らしや「見た目」に対し人以下の扱いをしてきたのです。
背が高く大きな欧米人、それに対し背が低く足の短い日本人の構図から、現代においてもこの白人至上主義が日本人のコンプレックスを引き出していると思います。
全てを奪われ廃墟と化した日本が、経済的に急成長しながら、スポーツ界においてどのような技術論を席巻してきたのか?歴史や時代背景が重要な鍵になると思います。
コンプレックスから作られた技術論
俗によく言われる「根性論」は正に戦中戦後に作られたものだと思いま。更にはうさぎ跳びや、ひたすら走る事で培われる下半身強化なども、腰高な欧米人=足腰が弱い、短足な日本人=足腰が強いという、コンプレックスからくるものだったのではと思います。とりわけ日本人はいまだに「下半身」に対しての技術論が重要だと、「問答無用」で考えてしまうと思います。ダーツ運動だけでなく野球やゴルフ、あらゆるスポーツで身体を動かさないようにとか、ぐらつかない、ブレない等、下半身を安定させる事が大事と考えられています。何故大事なのでしょうか?今まで考えるまでも無く大事だと思っていた手法に、疑いを私が持ったのは正にイップス症状に出会ったからなのです。イップス症状を発症させる原因に下半身固定意識があります。この下半身固定意識が高まってしまうのが「事後の姿勢の指摘」なのです。
日本人的様式美の追求
剣道・柔道・合気道・弓道などの武道は強いだけでなく、その佇まいや所作が重要になり、ただ勝てばいいと言う訳ではありません。武道には「残心」という技を決めた後も心身共に油断せず、余韻を残す見た目や様式美に拘る、日本特有の文化があります。
指導する上で間違ってしまうのは「事後の姿勢の指摘」です。正に武道で言えば残心の部分ですが、事後の姿勢(フォロー)はインパクトやリリース時に力が伝播するタイミングに物理的依存される姿勢なので、事後の姿勢そのものに言及しても何の意味もありません。
ダーツで言えばフォロースルーにだけ言及しても何の意味も無いのです。但しフォロースルーの結果自体で良し悪しを図る事は出来ると思います。しかしフォロースルーはリリース時に依存される事なので、フォロースルーを変えるには、リリースを変えるしかないのです。
ここでリリースポイントやリリースの方法は変えられるのか、議論されるところだと思いますが、私は変えられと考えます。変える為には意識を変えるのではなく、変えられる状況設定や、概念を変える事だと思います。野球の送球イップスを改善する方法としてボールを真上に投げる事をやらせます。これはイップスを改善するだけでなく技術力向上のためにもなります。ボールを真上に投げさせる最大の目的は「手首」の使い方です。
リリースで最も重要になるのはリリースポイントよりも手首の使い方なのです。今回は説明を省きますが、野球でもダーツでも手首の使い方の根本が間違っているのです…。
結果とは物理的事象
ちなみによく野球のバッティングで、空振りした後の顔や身体の向きを指摘する指導者がいますが何の意味もありません。それは「空振り」したから事後の姿勢になったのです。
ダーツでもリリース後のフォロースルーだけでなく、下半身の「ぐらつき」や「ブレ」等の事後の姿勢も同じです。そしてそのぐらつきやブレの原因は下半身には無く、リリース時の物理的事象によるものなのです。
ニュートンの運動法則が基本原理
競技の結果もしくは、全ての結果は物理的事象によるものです。運動学における運動力学の基本原理は、「てこの原理」や「ニュートンの運動法則(第一・第二・第三)」による、重力が働いているこの地球上においての理論となり、反論しようのない物理的法則なのです。要は結果が担保された理論で誰にでも「共通」して当てはまるものです。遠くに飛ばすには飛ばすなりの、速く走るには速く走るなりの「千差万別」ではなく「唯一無二」の理論となるのです。理論は得られたとして次に重要になるのは「個体差」です。理論は共通でも個体質量の差、もしくは構造機能の差を当然考えなくてはなりません。しかしここで重要なのは個体差を考えるあまり、差異を唱えすぎるご都合主義が生まれる事です。
オリンピック等の国際試合において日本が得意な種目・不得意な種目があります。逆に欧米人やその他地域にも得意・不得意があると思います。個体差に対し手法を変えたところで結果の最大値は一緒にはならないと思います。しかし競技によっては心理面や戦略面、そして体力などプラスになる要素があるので、磨くところは沢山あると思います。
道具に力を伝える。力とは質量
ダーツ運動で重要な事は「道具に力を伝える」という事です。力と言っても腕力や筋力を要する内力ではなく、自らが持つ「体重」、いわゆる質量という外力を使う事です。この体重を移動させ下半身から体幹、体幹から肩・腕へと効率的に伝播させ、「腕力を要さない手法」を確立させる事が非常に重要になります。体重移動とは、まずは下半身を止めないという事です。特別動かそうとしなくても大丈夫です。逆足が動いても何の問題もありませんし、逆足が動く事はむしろ解剖学上「自然な形」と言っても過言ではありません。逆足は蹴り上げるような推進力としてではなく、「バランサー」として使うのです。
しかしダーツプレイヤーはこの動きを最小限に止めようとしてしまいます。私に言わせればそれが間違いの始まり、技術力を高めようと更なる飛躍と安定性を求め「無駄」を省こうとしてしまいます。断言します。無駄をそぎ落としたら壊れます。仮にそぎ落とさなければならない無駄であるならば、根本原因を潰さなければなりません。「やってしまう」動きは、やらないという「意識」だけではどうにもなりません。これは解剖学上意図せずやってしまうからなのです。
力が伝わればブレない
その「やってしまう」意図しない動作に「ぐらつき」や「ブレ」があるのですが、この事象の原因は正に「力が伝わっていない」からです。何故力が伝わらないとぐらつき・ブレるのか?それは「空振りの状態で反作用」していないからです。
ニュートンの運動第三法則に「力をおよぼしあう運動」である作用・反作用の法則があります。これはロケットを飛ばす時なども応用されていますが、力は作用する方向に対し真逆には反作用するというものです。水面で二隻のボートに乗りあい、片方からだけ対するボードを押したらどうなるでしょうか?きっと力が作用・反作用しお互いが離れていくと思います。互いの質量が違うにせよ20g程度のダーツを2m飛ばす為の力がしっかり道具に伝われば当然身体側に反作用するのです。よって野球のバッティングでも当たれば(作用)身体はブレない(反作用)のです。
掘り下げられない理論は疑え
巷によくある運動理論で、物理や解剖学を無視したものが沢山あります。それにも関わらずプレイヤーの腑に落ちてしまうのは、史学や心理学という観点からくるのだと思います。長年刷り込まれた歴史観と、楽をしたいという心理が重なって間違いを許容してしまい疑問を持たないのです。何事もそうですが結果が大事です。腑に落ちた方法論で納得しただけでなく、技術的に向上しましたか?安定しましたか?答えは否だと思います。
ダーツ運動は本当に難しく、一筋縄ではいきません。そしてイップス症状になる事を誰でもいつでもはらんでいるのです。何かを固定するという、正に「固定」概念は危険です。