2015年7月
中世ドイツの騎士ルドルフは、ドナウ川に聳え立つ断崖絶壁に儚く美しい野花を見つけ、恋人ベルタにそれを摘み取り贈ろうと誓った。しかし騎士ルドルフはその絶壁から足を滑らせドナウ川へ転落してしまい、そして激流に飲み込まれてしまった。騎士ルドルフは息絶える寸前に力を振り絞り、握りしめていた野花を岸辺に投げ恋人ベルタへの愛を残した。「僕を忘れないで」という言葉と共に。
その愛を受け取ったベルタは、生涯ルドルフの自己犠牲愛を偲び、ルドルフの墓に彼が最期に残した野花を添え、名もなき花に名を付けたという…。
前線で戦い抜いた選手たちにとって、その傷跡を癒すのは安心して「帰れる場所」です。その場所とは、空間であり時間であり言葉であり人なのです。
例えばそれは住居であったりホームとする店であったり、変わらず迎え入れてくれる空気は平常と安堵を齎し、そこで流れゆく時間は非日常的な戦いを忘れさせてくれることでしょう。
例えばそれが人であるなら、その存在こそが大きな力となり糧となり励みとなり、そして戦い抜く意義をも与えてくれることでしょう。いつ何時であっても選手たちを送り出し向かい入れ支えとなってくれる者たち…家族や友人や恋人や仲間。それは選手たち一人一人に向ける敬愛の証。
そんなスポットライトを浴びる選手たちを陰で支え続ける強く儚き存在を、いつかは私のコラムで取り上げてみたいと目論んでいました。それはきっと私にしかできない事だから…。
ダーツバーやショップでのスタッフとして選手を見つめる者は「選手たちの為に自分が出来る事は少ないです。ただ勝っても負けても笑顔で接していたい。」と。その笑顔の奥には、どれだけの不安を乗り越えた自粛の愛が込められているのだろうか。
友人として仲間として選手と共に歩む者は「練習に付き合います。何時間でも納得できるまで、サンドバックになります。」と。その正義と意志は時に選手たちよりも強く。
身近で努力を続ける選手に勝利と栄光を望み、奮闘する姿を誇りに思ってくれる者たちが居るという事を、心の僅かな隙間に覚えていてくれますか?
ノブレス・オブリージュ
片翼を失ってもなお天を諦められず地を這う輩に、その傷を癒し新たな翼を授けようと尽力を惜しまぬ儚き愛のカタチ。
傷ついた者をどんなカタチで癒すのか…その愚問に初めに口火を切ったのは、まず女性から。
何をするでも何を贈るでもなく、ただ「傍にいたい」と。泣いて弱音を吐いている姿をさらけ出して欲しい、その横で立ち直れるまで寄り添っていられれば…と。
それは「母性」という愛。
続いて男性からは、心に刻まれる程の名言の数々が飛び交ってきた。月並みな「がんばれ」という言葉は言わない、がんばっている奴にこれ以上「がんばれ」なんて言えないから…と。
それは「理解」という愛。
あえて何も言葉をかけないというカタチでも、慈愛の欠片なのだと感心させられてしまう。
そして同じく男性から、他人からの引用ではあるけれど「死ぬ気でやってみろ。死なねえから。」と。それは自分の限界を自分で決めて逃げ場を作り上げてしまった哀れな者たちに「改心」というきっかけを与えてくれる愛。
たとえ勝てなくても負け続けていても、戦い抜く姿を魅せていてくれれば、それを支えていられる事を誇りに思う者たちは存在しています。
選手たちのSNS等を拝見すると、企業スポンサーや運営団体に感謝を述べる文面をよく目にします。それも個々を演出するための一種のパフォーマンスなのでしょう。
けれどもその矛先が小さき者たちに向けられることはあるのでしょうか?日々当たり前のように激励と賞賛を贈ってくれる…小さき者たちに。
しかしその小さき者たちは、消費者であり視聴者であるのです。スポンサー企業が販売する商品を買い求め、運営団体が配信する情報を事細かに閲覧している者たちなのです。
企業や運営は勿論選手だけでは成り立ちません。その需要は消費者たちに委ねられ、小さき者たちは、自分が支えたいと思う選手たちに関わるモノが選択肢の一つになるのです。つまり、元を辿れば選手たちへの出資は消費者たちの出費からとも言えます。
気づかぬうちに甘えて、甘えている事にも気づかぬまま、それでも笑顔で迎え入れ掃き溜めになってくれている者たちへ、その存在意義は選手たちの心に届いているのだろうか…?
自分たちに光が当たる事は決して望まず、ただ応援する選手たちの試合経過や結果に一喜一憂し、遠く離れた地においても共に悦び共に痛みを分かち合う、スポットライトの外側にいる小さき者たち。彼らの願いはただ精一杯戦い抜いてきて欲しい、正々堂々と選手たるべき姿であって欲しい、そう思っている筈です。
いつか気づいて貰える日が来るのでしょうか?大手スポンサー企業は結果を出すための支えではなく、結果に伴った支援を与えてくれるモノ。その結果を出すまでに支えてくれているのは、もっともっと小さく儚く…そして純粋な者たち。
華やかな大舞台に立つその時、感じる事があるのでしょうか?それは自分の努力と実力、技術だけでは到達できなかったかもしれないと。
ダーツというメンタル競技の中で、絶対的に大きな存在となる小さき者たちの声援の数々は、選手たちの心に響き翼を授ける慈しみなのですから。
初めて君に出逢った日 僕は
ビルの向こうの空を
いつまでも探してた
君が教えてくれた 花の名前は
街に埋もれそうな 小さな
勿忘草
【Forget me not 尾崎豊】