2016年7月
恥の多い生涯を送って来ました。
自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。
『人間失格』 太宰治 より
昨年の晩秋、とある選手からの誘引を受け朝早くに新境地へと旅立った。
神奈川県横浜市・某所。
私がその場所へ足を運び入れるのは幾度目であろうか。現役時代に選手として、引退後には知人や後輩たちの応援の為に。
だが、その日だけは違った。
其処は私にとって正に新境地。平坦な筈の床に幻覚の如く、何重にも積み上げられた敷居を跨いで歩みを進める毎に緊張感が増し、私の脚は震えた。
建物内に入るとすぐ、目の前を半袖襟付きシャツとスラックス姿の「選手」たちが横切った。試合会場であるホールから共用通路のトイレへと、一枚の扉を隔て選手たちが頻繁に出入りする。
それは嘗て日本全国のソフトダーツトーナメント会場で数え切れぬほど目にしてきた筈の光景。
けれども違う、やはり違う、何かが違う。
そして私はその扉を開けた。
That reminds me
四百坪程の場内に照明は蛍光灯。BGMは無く、座席は会議用長テーブルとパイプ椅子。参加選手は100名ほど。
壁際では長テーブルで仕切られたドリンクブース。その長テーブルにはA4プリント用紙に印字されたドリンクメニューを養生テープで貼り付けてある。
対面には同じく長テーブルで仕切られたコントロールブース。スタッフらしきIDカードを首から下げた十名程が選手たちのスコアシートを受け渡したり、手書きで集計したり、時に大声を張り上げて選手の呼び出しをしている。
それは十数年前、私が初めてソフトダーツのトーナメントに参戦した時に見た光景、そのものだった。
だが大きく違っている事、私はその違和感にすぐに気付いた。「音の無い空間」であるという事。代わりに響き渡るのは選手たちのセルフコールという声色。
此処は、スティールダーツの世界。
他人の話では見聞きし、無論、画像や動画で観る機会は何度もあった。
しかし実際に足を運び目の当たりにしたのは、この時が人生初。もっと重々しく高貴な場だと思い込んでいた私にとって、初めてにも関わらず第一印象は「懐かしい」と思えてしまった。
何より懐古的だったのが、コントロールで集計を行っていたスタッフが自らのIDカードを首から外し、他のスタッフに預け「俺、次試合だから」と、足早に去って行く姿。選手でありながらスタッフを兼任するその姿こそが、十数年前のソフトダーツトーナメントでも当たり前だったのだ。
私の知りうる限りのダーツとは別世界の住人と思い込んでいた選手たちの中に数名、私の知人友人が居た。
勿論、ソフトダーツとスティールダーツを両立させている選手が数多く存在しているのも周知。しかし初めて飛び込む別世界の中で、知人友人の姿を見かけると安堵の色を隠せない。思わず声をかけてしまった。
「久しぶり…十年ぶりだね。」
驚き叫ぶその表情を見て、微笑む。嬉しい、こんな事があるものなのか…。
今年に入り益々スティールダーツと交わる機会が増え、トーナメント会場のみならずリーグ戦の観戦や練習会にも声をかけていただき、時には練習の際のスコアラー(テンキーを使って数字を打ち込むだけの役割)をやらせていただく事も。楽しい、純粋に楽しいと思える。知らぬままでいた事を知り、携わる機会などなかった事に僅かにでも関わり、別世界の住人たちと親しくなり、多くの事を習い学ぶ。
楽しい、嬉しい、楽しい!
Precious time
そして今年の初春、友人が借りてきた車に乗り込み数名で深夜に東京を出発した。
地方遠征。
昨年ソフトダーツのプロトーナメントを観戦するため二度ほど遠征をしたが、スティールダーツの観戦では初。いざ戦わんとする選手たちの闘争心を余所に、私だけは遠足気分の子どもの如く高揚する心を抑えられずに会場へと向かった。
団体登録選手たちは各地で開催されるトーナメントでそのポイントを追い求め、年間ランキング上位者は日本代表の切符を手にする。開催されるトーナメントの規模と参戦者の人数により付加されるポイントは違い、此の地でのエントリー数は僅か数十名。とはいえタイトルを勝ち取り優勝ポイントを加算することができれば代表への大きな一歩となる。
殺伐とした空気、音の無い空間。私は其処が好きだ。居心地が良いとすら感じてしまう。
そして優しさにも触れた。
参加する選手にだけ配布されるお弁当券を私に譲ってくれた選手、主催側からは「わざわざ県外から観戦に来てくれて」と地元のお菓子を勧めてくれた。あたたかい…。
狭き門を潜り抜け勝ち上る厳しさと、地の其々を感じさせてくれる「手作り」なトーナメント主催。
私はもう少しだけ、この世界の中で彷徨っていたいと感じた。
Seeks for Steels
スティールの世界に、恋して。