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No.31 ダーツはスポーツ化に向かうの?

2016年11月

最近、芸能界でも芸能人の所作に対してネットで叩いたり、近くで言えばオリンピックの時も色々と物議を醸し出しましたよね。
今年に入ってから特に「一斉に叩く」という行為が増えたように思いますが、これは「申年」が関係していると言われることが多いですよね。申年というのは「騒がしい年」と以前から言われており、1968年には三億円事件と東大紛争、1980年には新宿バス放火事件や静岡駅地下街ガス爆発火災・KDD事件・王貞治引退、1992年には佐川献金疑惑とPKO協力法案成立、2004年鳥インフルエンザ発生・沖縄米軍ヘリ墜落事件・新潟中越地震等キリがないくらいの大きな事件が発生しているんですね。1944年にはノルマンディー上陸作戦があったんですねぇ。
ずっと、古くからこの申年というのは何か問題が起きやすい年であるらしく、なんか浮き足立っている感が色々な場面で感じます。
ことダーツ界を鑑みると、プロ選手の「プロ意識」の問題だったり試合中のトラブルであったりと今年に入って、ちょっと例年よりも多いかなと思います。
そこで、ふと感じることはダーツをしている人や見ている人、そしてダーツを好きだという人たちはダーツをどうしたいのかなぁと。
ダーツはスポーツ化されていつかオリンピックを目指すような競技になるべきなのか、それともプロレスまではいかないまでもある程度のエンターテイメントを意識したものに向かうべきなのか。
まず前者に関して言えば、お酒やタバコといったスポーツにとっての「マイナスイメージ」を払拭しない限り、いつ迄経ってもそのような巷の共通認識である「スポーツ」という概念には程遠いし、オリンピックなんて到底無理ですよね(笑)。
では、後者の場合をひも解いてみましょうか。
現在ではプロトーナメントというものがあるので技術的な「エンターテイメント」はもうすでに成立しているといってもいいかもしれませんね。「プロ」という定義としては辞書で調べてみたものを要約すると、一つの事柄において専門的に接しているさまだそうです。まぁ簡単に言えば専門家という定義以外はないそうです。
よく言われている「プロらしくない態度」とか「プロらしからぬ発言」等巷で叩かれるものは、この「プロ」という範疇とは言い難く、ここから判断すれば「スポーツマンシップに相応しくない」と言うべきなのかもしれませんね。
いつも「プロ意識」の問題になると、僕はいつも「?」で各々の「プロとして…」という独自の考えをぶつけ合っているだけで、で実際何が正解なの?と悩んでしまうんです。
これが「スポーツマンシップ」という言葉に変えてくれれば「なるほど」と理解出来る。
例えば、誰もが認める素晴らしい音楽を作るミュージシャンがいるとします。これはまさに一般的に言う「プロ」ですよね。その人が実際には反社会的な行為を繰り返していたとする。この場合、反社会的行為をしたから「プロらしからぬ」というのは当てはまるんでしょうかね?
音楽家だから「そういうものはつきものだ」と、ダーツと一緒にするなと言われるとちょっとこちらが伝えたい事と違うのでもう一つの例を出しますと、ある靴職人がいるとします。それはそれは素晴らしい靴を作る職人でありますが、彼は反社会的行為を犯してしまう。こうなった後は彼は「靴を作るプロフェッショナル」という肩書きを二度と使ってはいけないと法律で罰せられるのでしょうか?
ではダーツプロの場合にはどうか?プロと認定されるためにプロ組織に認定してもらいプロとなるわけで、上記の二つの例とはちょっと違いますよね。上記のミュージシャンと靴職人は国が制定した法律が罰するだけで、別にどこに所属しているわけでもないからプロ組織から基本的には罰せられることはないでしょう。まぁ、「ミュージシャン協会」とか「靴連盟」みたいなところに所属してればなんかしらの罰則はあるでしょうが(笑)。
これでお分かりいただけるようにダーツのプロというのは「プロ団体に認定されているからプロと名乗れる」という流れが一般的な考え方になっている。(細かくいうと別にプロ団体に登録していなくとも「プロダーツプレーヤー」と名乗って問題ないんですけどね)
この時に「プロとスポーツマンシップ」はセットになっているものであるという考えを協会が持っている場合が多く、スポーツマンシップを守り、その競技に真摯に向き合ってきた最終的な到達点が「プロ組織に加入」という行為、そして僕らも色々なスポーツをやる際に、小さな頃から「スポーツマンシップ」を植え付けられているから「プロになったからには、そんなことをしてはいけない」とか「プロはそんな発言をしてはいけない」となるんでしょうね。
スポーツマンシップについては「スポーツマンシップ憲章」という有名なものもあるし、体育祭の時に必ず選手宣誓させられる際に出てくる語句として、僕らの頭の中に植え付けられたワードであり「心構え」なんでしょうね。
ただこのスポーツマンシップ憲章を熟読した人は少ないでしょうし、なんとなく周りの言い伝え的な感覚で「たぶん、こうしちゃいけないんだろうな」とモヤモヤしたまま守ってきたことなのかもしれません。

ではここで「プロ」と「スポーツマンシップ」を切り分けて考えてみると最初に提起していた「ダーツはスポーツ化に向かうの?それともエンターテイメントに向かうの?」となるわけですよね。
だって、散々言っているようにお酒飲んでプロの試合やっている時点で、オリンピックの選考になんて100%引っかかりませんから(笑)。ダーツやらない人から見たら、「酔っ払いがダーツ投げていて賞金が出る」ってことでしょ?
こう言われたら、僕は何も言い返せません。試合に向かい合う際の緊張や恐怖感を酒で緩和してもいい「スポーツ」。
もちろんプロ選手達がルールに違反しているわけではない。酒は禁止されていないから。
かといって、僕も業界人ですから「明日からお酒禁止しろー!」なんて素人みたいな意見は言いません。ただ、お酒に関して想定出来るルール作りはザックリ作るのではなく、もっと詳細に作るべきなんじゃないかと思います。
真剣にスポーツしている時でさえ、言い争いやトラブルが起きるのにお酒飲んでいたら余計に増えるのは想定出来ますよね。
特にトップ選手達の場合には「精神的な斬り合い」をしているので、余計に通常の精神状況で居られるわけではない。全員が仙人の様に解脱が条件であればプロ組織は成り立ちませんしね(笑)。
「こういう状況の場合、もし〜したら罰金10万円」「こういう状況で、〜した場合3万円以上の罰金又は試合出場停止処分を科す」とかね。そのプロ団体が「詳細に規定する」ルールに違反した回数が累積した場合には、1年間のプロ資格剥奪又は出場停止処分でもいいかもしれない。
こういう風に規定しておけば、選手もそのルールを意識し始めるだろうし、観ている側もそんなに騒がないでしょう。

じゃあ、プロ組織としては「技術的な専門職であるということだけの認定団体」という形で、エンターテイメントへ向うという方法。
もちろんルールは必要でありますが、協会側が「ヒール」と「ベビーフェイス」を意図的に作り上げて盛り上げる必要性がある。
これならば、「酒?飲んで当たり前じゃん?なんか問題あんの?」くらいになるかもしれないし、僕の超個人的な意見としては、もう観るだけでイライラする選手とか出てきちゃったとしたら、その嫌いな選手と戦っている選手を必死で応援するかもしれない(笑)。又はもう女性ファンにモテまくっちゃっている選手を観たら絶対に応援したくなるかもしれないし、その試合に感情移入しまくれるので楽しいかも。
まぁ今のトップ選手の戦いは男女問わず、技術的な戦いだけでも十分に見応えがあるものなんですけど、ブームが沈静化しているダーツがもう一段階跳ねる必要があるとすれば、そろそろどちらかに舵取りをしないと、それも競合している団体がこの部分だけは共通認識を持って進めていかないと、辞める人と始める人の入れ替えが毎年行われていくだけで、段々辞める人が増えていったとしたら縮小の方向に進むでしょうからね。

いずれにしても、どんな意見でも言い合えばいいと思うんですよね。
そうしないと、この業界は活性化しないし、小さく纏まる段階ではないですから。
今のところは、誰の意見もそれが正しいかどうかわからない。それが正しいかどうかはもっと先にわかることでしょうからね。

DARTS MANIAX