No.48 「自身の成功の道」と「どうしたらダーツの仕事で成功するのか」

2022年7月

前号でLーstyleの歴史や作品に関して8000文字を超える文章を書きまして…文章を考えると体がかゆくなるようになりました(笑)。
という事でお願いしたわけではないのですが、最近にっくきコロナによって私も含めて苦戦しているダーツ界をどうやったら復活できるか勉強しに行ってきました。

今回の「しくじってない先生」は今ダーツ界で話題の自身のお店も経営しながらダーツ関連のコンサルをしているGON様に「自身の成功の道」と「どうしたらダーツの仕事で成功するのか」に関して文章にして頂きました。
お店の経営を考えてる人も考えてない人も、面白いと思いますので是非読んで下さいませ。それではGONさんよろしくお願いしますー(投)。

いつもNDLをご購読の皆さま。初めまして株式会社GーRIZE代表取締役の中山悟(なかやま さとし)です。ダーツ業界ではGON(ゴン)と呼ばれています。
Bully‘s(バリーズ)というダーツBARの経営と居酒屋やレストラン等飲食店の経営コンサルタントをやっております。
いつも芹澤甚太会長のコラムを楽しみにして頂いている皆様、大変申し訳ございませんが今号は私の雑文にお付き合いください。
BARを開業したい方へ少しでも参考になればと、『自身の経歴』と『ダーツBARの仕事』について書いていこうと思います。

まず、私の経歴からですが、まだダーツライブやネットワークで繋がるダーツ機が日本に出回っていない約20年前に高校時代の友人がアルバイトをしていた池袋のダーツBARでダーツに出会いました。
その頃は20歳でダンプの運転手をやっていましたが、仕事後毎日のように通い練習をしていました。
ただ、当時はハッピーアワーや投げ放題はなく物凄くお金がかかりました。私が通っていたダーツBARは501とクリケットが200円、701は300円でした。どこのお店も大体そのぐらいだったと思います。飲食代抜きでダーツ代だけでも毎日1万円以上使っていました。

お金も底なしにかかるし練習できる時間も限られているのでダーツを本気でやるなら仕事を変えて取り組みたいと思い、すぐにダーツ関連の求人を探しBeeという当時SEGAが出店しているチェーンのダーツBARに就職しました。
22歳でBeeに入社、23歳でBeeのプレイヤー代表に就任、24歳で当時最年少店長を任せて頂きました。
当時プロとして活動しながらも役職としては店長であり、二足のわらじを履いていて思うように店舗の売上が上がらなかった時に社長からこう言われました。
『GON、ダーツを言い訳にして逃げるなよ!』その言葉がきっかけで仕事に対してもダーツと同じように真摯に取り組もうと、経営を勉強するようになりました。

店長兼ダーツプロで自分は他の店長達とは違う特別な存在、売上が上がらなくてもどこか許されてしまうという甘い考えが見透かされているようでした。
Beeには10年間在籍していましたが、今思えばBeeで経験した期間が今の自分の仕事の根幹となっていると思います。

Beeを退職後、都内でレストランやダーツBARを十数店舗経営している会社の店舗統括として勤める事になったのですが、入社してすぐに社長から『中山さん、話があるんだけど、この会社に社長(のような存在)は2人いらないと思うんだ。中山さんのポテンシャルなら独立できると思うからチャレンジしてみないか?』と独立を勧められました。
私とはタイプが真逆の社長だったのでもしかしたらやりづらかったのかもしれません(苦笑)。それでも人生の転機だと思い、その会社の店舗を1店舗居抜きで借りて独立する事にしました。

場所は東京都中央区にある人形町駅から徒歩5分広さは約30坪で物件の初期費用や契約手数料はなく、内装は整っていて開業にかけた費用は看板代の『8万円』+細かな備品類の買い出し費用のみでした。
ですが、もちろん良い条件ばかりではなく借りた店舗は私がやる前はイタリアンのお店で、営業していても毎月の赤字が50万円以上という非常に厳しい店舗でした。下手をするとオープンしてすぐお金が回らなくなり廃業です。

それでも何となく自分ならいけるだろうという謎の自信がありました。とにかくお金を出さずにオープンしたかったので、営業開始前の空家賃を出来る限りなくす為に凄まじいスピードで作業を進めました。
2016年10月14日に退社、同年10月15日に物件を引継ぎ、同年11月1日に人形町店をオープン、約2週間という信じられないスピードです(笑)。
独立を勧められてすぐに個人事業の開業届や各種届出を準備して人員確保、メニュー構成、看板デザイン、業者契約、備品準備、清掃など大事な部分を最初の1週間ぐらい店舗に泊まり込みで完成させたと思います。

これはあくまで私はですが、最初の店舗は『とにかくお金をかけずにオープンする事』を優先させました。
初期投資はギリギリまで削って早い段階から利益確保出来る店舗にして、すぐに2店舗目の出店を出来るように計画していました。そのかいもあり人形町店出店から7か月後の2017年6月6日に現在の本店となるBully‘s池袋店をオープンさせます。
池袋は20歳の頃ダーツを始めた場所でもあり思い入れも強く、店舗の場所にこだわりたかったので半年間で50店舗以上の内見をしたと思います。
池袋店を出店してから5か月後の2017年11月11日に大宮駅西口にBully‘s大宮店をオープンし1年後に大宮駅東口に移転、2018年から経営コンサルタントとしての仕事を開始して2020年コロナ禍で本腰を入れて契約件数が大幅に増加、2022年1月にフランチャイズ店舗のBully’s千葉店をオープンなど経歴は他にもあるのですが書ききれないのでまた何か機会があればお話ししたいと思います。

私が思うダーツBARのあるべき姿ですが、うちのスタッフにはよく『ダーツBARの営業は特殊、まずは皆が思う良い飲食店(居酒屋やファミレス)の営業が出来てからダーツBARとしての営業をしよう』と言っています。
お飲み物を頂いたり、お客様とダーツをしたり、普通の飲食店じゃまず考えられない光景ですよね?それがダーツBARでは当たり前になり風景化してしまっている。だからいつも自分のお店やスタッフの所作を風景化させないようにお店に来た時には常に何か違和感がないか探すようにしています。
基本的な事で言うと、空きグラス、空き皿、灰皿など卓上をこまめにチェックしたり、トイレが常に綺麗だったり、お客様から『すいません』と呼ばれないようにこちらからお声がけをしたり、ドリンクやフードを早く出したり、飲食店で当たり前な事が全て出来てからダーツBARとしての営業をするように心がけています。

あとは出来る限り特別な事をしないようにしています。クリスマスやハロウィンなど世間でイベントがある時も店内では大々的な装飾や催しを避けています。(少しはする事もあります)。賛否両論あるかと思いますが、当店に来て頂けるお客様には日常としてダーツBARを楽しんで頂きたいという思いです。
ダーツ上級者も初心者もお酒を飲む人も飲まない人も複数人でも1人でも、皆を平等に受け入れられて楽しめる場所を目指しています。

■ JAPANプロとしても活躍する千葉幸奈の店舗での功績
■ DYNASTY三船社長との出会い
■ 恩人(コンサルティング・オブ・デルタ高橋良司社長)の話
■ 新バレルメーカー立ち上げについて
■ Bully’s廃業寸前の大ピンチの話
■ ダーツBAR開業支援店舗について
■ 尊敬するカリスマ芹澤会長について

など他にも書きたい事はたくさんありましたが今回はこの辺りで終わらせて頂きますので機会があれば是非Bully’s池袋店に聞きに来て下さい(笑)。
最後までお付き合い頂きありがとうございました。

GONさんタメになるお話ありがとうございました。書きたいことの題材が気になりすぎるので、是非この先もちょこちょこ登場して頂きたいと思います。