No.16 「猿猴橋町から」

2021年5月

5月上旬、僕は広島にいた。
昔からお世話になっている朝倉聖也プロに会いに行ったからだ。はじめは僕自身の都合で行くことができなかったが、やはり人と会うことは自分にとって大切なことなので聖也さんのご厚意もあり、車を走らせた。

愛媛から広島までは橋を渡ることを除いては有料道路を使うことなく下道を走った。
昔から電車もできるだけ鈍行を使う。
窓から見える景色が好きなのだ。
海沿いを走り山合をゆく。
およそ4時間ほど走っただろうか、僕は待ち合わせの時間より早く広島駅前についたので少し歩くことにした。

初夏の晴れ間に、まだ春を感じさせる風が吹いていた。広島の街はこのような状況下でも、あまり変わっているようには見えなかった。
街には外国人が旅行で来ている姿も多く目にするし、街を歩けば普通に人が行き交い、日常を送っている。
僕は駅前からスマホで地図を見ることもなく、カメラを片手に歩いていた。

僕が暮らしている地域では少しの喧噪もなく、ただゆったりと時間が流れているので、久しぶりに吸う街の空気は昔から雑踏を好む僕にとって新鮮なものだ。あてもなく歩き、あてもなくシャッターを切る。
そんな日常はコロナがあろうがなかろうが変わらない。ただ背中に駅を見ながら歩いてゆく。広島の繁華街に差し掛かると、まだ昼間だからか店の前には多くのビール瓶が敷き詰められたケースが並び、酒屋さんがトラックへの積み込みに勤しんでいる。
猿猴川沿いを歩くと日向ぼっこをしている親子やカップルがちらほらと休日を楽しんでいた。周りの飲食店の多くはテイクアウトを行っているから、そういった過ごし方にはうってつけだろう。
そんなこんなをしていると待ち合わせの時間に近くなってきた。
僕は待ち合わせ場所であるmax広島駅前店へ向かった。

聖也さんは僕が広島へ行った日にオープンした【朝倉商店】を含めると3店舗の飲食店のオーナーだ。
プロダーツプレイヤーとしても一流でありながら、自らお店に立ちオーナー業をこなしている。
何度か聖也さんの店には足を運んだことがある。
店にはいつも笑顔が溢れ、モニターには広島カープの試合が流れている。
max広島駅前店にボックス席はなく、カウンター席のみということもあり、自然とお客さん同士が仲良くなる。もちろんダーツも設置してある。
ソフト1台ハード1台。流行りの大規模な投げ場とは違い、台数も多くなく独りで練習している人などあまりいない。ダブルスや4人プレイでの稼働でダーツを通じても仲良くなってしまうのが必然だろう。
僕が感じるダーツバーの雰囲気とはまさにこういったものだ。1つのマシンの空間が1人のものではなく、1つのお店をみんなでシェアしている。
今では隣で投げているプレイヤーに話しかけることのほうが珍しくなってしまったかもしれない。

「どこから来たんですか?」
「よかったら一緒に投げませんか」

そんな会話は10年前は当たり前だった。
いつの頃からかダーツというものがパーソナルなものへと変化していき、皆で楽しむといった要素が薄れてしまった。もちろん今でもmax広島駅前店のようにソーシャルに特化したお店も残ってはいる。
そしてそういったお店には少なからず魅力的な人がいるものだ。
僕が広島で出会った人たちもとても魅力的な方ばかりだった。
スタッフの女の子はとにかくダーツを楽しみ、いつも笑っている。ダーツを初めてまだ1年足らずの青年はかなりのポテンシャルを持っているなと聖也さんと意見が一致するぐらい素晴らしいプレイヤーだ。そしてそれを聞いていた別の青年も「僕のほうができるっす」などと若さ全開で対戦を挑んでくる。そうかと思えば久しぶりに会った、いつも会場で飲んだくれているおじさんと夜中までダーツをしたり、僕のことを知っていたお客さんは朝倉商店の名物であるステーキをご馳走してくれたりと、決して漫画喫茶などのクローズされた空間では味わうことがない時間を楽しんだ。

ただいつもと違うのは皆の口元にはマスクがあり、そんなにお酒が出ていない点だろうか。いつもの店の雰囲気はないかもしれないが、それでもこうやって僕らは笑って、その場、その時間を楽しむことができている。

今の状況が落ち着いたとして、これからこのようなダーツを楽しめる店は残っていくのだろうか。僕が楽しんでいたダーツバーの数軒は今はもうない。

僕がダーツを始めたのは19歳、11年前だ。その時にお世話になっていたダーツバーは40年程営業していたが数年前に閉店した。
僕はその店の最終日にオーナーから言われた言葉を忘れられない。

「もう時代じゃないんだよ、おしゃれな奴もいなくなったし、いまは安けりゃイイの時代だもん、何かを犠牲にして熱中して、何かに向かっていくっていう、そんな奴はお前でおわりだったもんな」

僕は当時大学生だった。お金もなく、なけなしの2000円を握りしめてダーツを投げに行っていた。バイクも売って、部屋にあるものはほとんどなくなった。それでも行きたいと思った店だった。投げ放題などもちろんない。メドレーは300円だ。そこに飲み代も加わる。満足に投げられないことのほうが多かった。それは内容ではなく「もっと投げたいのに」という気持ちだ。僕はお金がないとは言えずに、こそっと空いているダーツマシンで空投げをしていた。
オーナーはそれでも何も言わずに、そっとしておいてくれたのだ。僕は失礼だと思いながらも自分の我儘で投げさせてもらっていた。
もしかすると今ならそこからお店のスタッフになったりインストラクターになったりといった声がかかるかもしれなが、オーナーは絶対にそういったことはしない。むしろそれでよかったと思う。

その店には僕がショップに立ち始めてからは行く機会が減ってしまい、さらに渡英したり海外のツアーに参戦したりと年に1、2回ほどしか顔を出さなくなっていた。ただ僕はいろいろなことをダーツバーで学ぶことができた。そんな思いがその店の最終日にぐわっと溢れ出た。そしてオーナーにお疲れさまでしたと伝えると、そっと手を出してきた。最初で最後の握手だろうか、その時にぼそっと。

「今度はお前が30年続く店作れよ、お前みたいなやつがやらなきゃダメなんだよ」

そうこぼしたのを僕はしっかりと胸に刻んである。

いまもあの頃の気持ちでダーツに取り組んでいるのか。そう問いながらダーツと共に生きていくことがきっとこれから「ダーツ」に携わっていく者としての先人に対する敬意の表し方だろう。

あの店は間違いなく最高だった。そう思える店が、あなたにはあるだろうか。
そう思ってもらえてるという自信はあるだろうか。

僕は今回の広島の旅でそれを感じていた。間違いなくmax広島駅前店は最高だと思われている。
店の終わりに聖也さんと二人で自転車で帰った。

夜中の3時に
「飯いくか」
と入った店で中華飯を食べながら
「うちのお客さんは最高なんよね」

と半分寝ながらぼそぼそ言っていたんだから愛されないわけがない。僕はしみじみ「これだよなぁ」と感じながらまた二人で自転車を走らせて、街から少し離れた朝倉家へ向かった。

帰宅したとたん聖也さんは

「ほいじゃ」

と二階の寝室へ上がっていった。

疲れているのは朝倉商店の開店日だったんだから当たり前だ。朝の四時頃だろうか、窓の外は少し青くなり始めていた。

きっと2時間も経ったら聖也さんのやんちゃ坊主たちに起こされるんだろうなと思いながら、僕もソファで眠りに落ちていった。