No.61 「武力による制圧及び侵攻」

2022年3月

なんて言えばいいのか分かりませんが、これだけ「武力による制圧及び侵攻」というのは理由がなんであれ絶対に正義ではない。っというのが、世界中の共通モラルだと思っていたんですけど、それが一瞬で吹っ飛ぶほどの衝撃的な出来事が起こっているのが事実。
勿論、「宗教や民族」に係る衝突が結果的に武力による闘争に繋がるのは、今だに起こっているわけで。これに関しては、日本人の僕には理解出来ないというより、その蓄積されたレイヤーが多すぎて、ただの歴史の授業やその他で得た知識が豊富だからといって、当事者の抱えている歴史や価値観は到底わかったような風で首を突っ込む方が失礼になる気がします。

今回のウクライナ侵攻に於いても、2014年のクリミア侵攻から紐といていくのではなくて、そのもっと前から掘下げていったとしても、この歴史的背景ってどちらにも言い分があるし、戦争や侵略は所謂戦勝国の都合で書き換えられる事も多いですし、日本だって敗戦国というイメージがあって「弱者」的な見方も荒れる時もありますが、それまではしっかり侵略していたわけで。
ただ、そういう時代のレイヤーを世界中で経験してきて、「武力戦争は反対」という結論にそこそこ大多数が一致して理解していたと思っていたんですけどね。
話し合いで解決する方法ってなかったんだろうか?それが例え何年掛かったとしても、そう簡単には時代のレイヤーを覆せるわけでもないし、各々の考え方や歴史観の相違は勿論、100人いたら100通りの考え方があると思っているので、難しいのは重々承知ですけど、一応民主主義国家と謳っている国が出した結果がこれだったのかと少し疑問に思っています。

そして今では、情報戦の応酬で(まぁ、戦争には必ずといっていいほどの通例なんですけど)益々、どれがフェイクでどれが真実なのか分からない。伝えている側のバイアスも今では相当掛かっているだろうから、インフォデミックの極みになっているような感覚です。
「え?どれが正しい情報?」っと人に伝えられるくらいの信憑性があるのかどうかの線引きも分からない。
昔、母から「大本営発表」なる言葉を聞きましたけど、そんなものは情報のプラットフォームが圧倒的に少ない時の話で、自分が疑似体験でもすることはないんだろうな程度にしか考えていなかったんですけど、まさか実際にこの時代においてそれに近いことを今まさに経験している人がいるなんて、思ってもいませんでした。
それだけ色々なものは進化したとしても、人間は追随出来なかったということでしょうか…。
この号が出ている頃には、もしかしたら平和的解決を迎えられているかもしれませんが、今回の有事において、亡くなった人がいるということは事実。武力的なあらゆる行動は、どの様な事由に於いても必ずその裏に犠牲者を出すんですよね…。命の重さが軽く扱われる出来事をまざまざと見せ付けられたような気がします。

日本でも、侵攻している国の関連性があると思われるお店や個人に嫌がらせや破壊行為が行われているという話を聞きますが、これはもう愚の骨頂というか恥ずべき行為。
国家と国民を一緒くたに同列視するか?普通。更にこの現在社会で。そういう愚行は、人権侵害と同じ行為なのに。アメリカで生活していた頃、もう35年くらい前になりますけど(笑)。確かにその時代は日本人として差別的行為を受けたこともありました。アメリカでは2020年にアジアンヘイト行動が再発したり、白人警官の黒人射殺事件でのBLM運動等とまだまだ根深い歴史がクリアになっているわけではありませんが、実際に35年前に差別行為をされた身としては、「自分は絶対にするのを止めよう」と思いましたし、その後に友人となった多くの国の人達共、仲が深くなればなるほど自分達のナショナリティをしっかりと受け止めた上でポリティカルなものや歴史的な出来事に対して、目を背けずに話してきた経緯があります。
どちらが戦争的勝者であっても敗者であっても、自分達の時代には絶対に起こしてはならないという共通認識を深めて、更にその歴史的背景に対して誤られたこともあったし、逆に謝ったこともありました。僕らはまだ生まれていないのに。
なので、なおさら今回の有事が僕にとっては衝撃的で「自分達の領土でやっているわけではないから」という他人事ではなく、本当に胸に突き刺さったというか、どんよりする気持ちが拭い切れないでいます。

例え、これで停戦になったとしても人の心に残った傷は一生残り、新たな憎しみや憎悪が生まれるかと思うと、本当にやるせない気持ちになります。
今回の有事を台湾有事に置き換えたり、尖閣諸島問題に発展させて「核シェアリングするべき」とか「最低でも国を守れる軍事力の増強」を声高らかに叫ぶ人もいますが、そもそもそれが正解であるのか、その大前提として「話し合い」から始めるべきでしょう。
言語という強いコミュニケーションを持った生き物なんだから、そこから始めるべきじゃないでしょうか?政府にしても、目を背けている事項なのは明白。選挙のためにうまく立ち回ろうとしているのは分かりますけど、今だからこそ話すべきタイミングではないでしょうか?憲法9条改正についても然り。
「話してわかる相手じゃない」という状態だってあり得るのは分かります。でも、そうやって放棄していった先に武力的な有事が起こるのは明白になったわけですから。

この時代においても、お互いの正義に優劣を決めるのは人間ですから最適解ではないかもしれませんが、それでも話すという行為を止めてはいけないと思うんですよね。
世界の全ての国から軍隊がなくなり、武器もお互いに放棄する時代がすぐ来るなんて思ってもいませんし、抑止力という考えも今の世界秩序の治安維持の観点から鑑みても理解はしていますが、そんな「平和な絵空事」として、今では嘲笑されるような「平和ボケ」な考え方もあってもいいんじゃないかと思います。そっちの方が遥かに幸せな世界が待っているはずですからね。