2021年3月
店の開店時間に合わせて僕はそこに行く。まだフロアの掃除やテーブルを拭いているスタッフが「いらっしゃい」と言う。
ここは松山で古くからやっている「ダーツのある飲み屋」だ。ダーツバーではない。
僕が愛媛に来てからまだ1年も経っていないし店の常連でもないが誰に対しても、おかえりといった空気で迎えてくれるこの店はとてもお気に入りだ。中にはオーナーとスタッフ二人がいて、あーでもないこーでもないを夜中までしている。
四国最大の繁華街である松山、いろいろな店があり、ダーツのあるお店も多いことだろう。でもなかなかほかの店に足を運ぶ気にはなれない。僕は昔からそうなのだが、新しいものにトライをするといったことに全く興味がない。
もちろん今までの僕のフラフラした人生を見返せばなにかに挑戦するといったことが多く、その点ではしてきたのだが、そうではない部分では全く挑戦しない、その気持ちがわかない。たとえば初めての定食屋に入って唐揚げ定食を頼む。それはそれで上手い、だが100点でもない。しかし僕はずっとこの定食屋で唐揚げ定食を頼む。それで足りているからほかのメニューに冒険しない。徒歩10分の場所に車を停める、誰かからこっちの駐車場のほうがち少しだけ近いよと教えてもらう、だが停めない。10分歩くことを受け入れているからだ。
そう僕はBetterを探そうともしない。Bestなんて考えもしない。
自分にとってそれが何のストレスもないならその定食が60点だろうが僕はそれでいい。それが僕にとってのベストチョイスなのだから。
僕がなぜほかの店に行きたくならないかが少しはわかったと思う。
もちろん、楽しみに行っている店が60点だとは思っていない。僕の中では100点のお店だ。いや、ちょっと待てよ、たまに酔っ払いの呂律がままならないグデングデンの歌を聴くことがあるのでマイナス5点しておく。それはそれで楽しくて面白いからいいんだけど。
皆がただいまといった感じで入店して、おかえりで迎える「家」のような空気を持ったこの店が僕は大好きだ。さすが愛媛だなと思わされたのが、オーナーもスタッフの一人も家族が柑橘農家だということ。そしてそこにいる客の一人がテーブルでみかんを剥いていたこと。そして帰るときにご厚意でデコポンを5キロいただいたこと。もうこれには柑橘王国を感じないわけにはいかなかった。名古屋に住んでいても身内が味噌カツ屋の人はいないし、鰻屋の人もいない。異常だがね。と言いたくなる。話の内容も「~の品種は作業効率落ちるんすよねぇ~」といった会話もあるもんだからさすがに突っ込まざるを得ない。そんな僕の部屋にも、季節の柑橘類は置いてあるし、今では毎日一つは食べている。すっかり愛媛っ子だ。
今の僕の生活といえば去年からはサラリーマン生活となっているわけだが、20代の10年間をフラフラとダーツばかりやってきた僕にはいささか、集団とか組織とかといった場所で生活することがストレスらしく、なんやかんや発散すべくいろいろなことをやっている。
写真を撮ることはもうかれこれダーツよりも長い間生活に根付いてるものだから、それは大変に今の生活に貢献はしているし、ウクレレも30歳から楽器を始めようと購入して、わりかし何もない普段の生活に色をつけてくれている。
仕事に関しては慣れないことばかりなので、何かを考える暇もないぐらい毎日悪戦苦闘。
今の生活に慣れるためにしばらくダーツをすることもできずに、技術的なものが落ちてしまっているが、ようやくいろいろなことに慣れ始めてきたので最近またがっつりと投げることができるようになってきた。
そんな中で今お気に入りのお店に出会ったわけだ。
先日もまだ、会って二回目ぐらいなのにスタッフの一人が「ご飯行きましょうよ」とか言ってくれるもんだから、そういう、いい意味での馬鹿さ加減というものを見せられるとすっかり好きになってしまう。
残念なのはそれを言ってきたのが女の子ではなくて、ひげ面でロン毛の同年代であるマリオボーイということだけ。そんな魅力もたっぷりその店に詰まっている。
店までは家から車で30分ほどだろうか、時間帯によっては混むことがある道なので何とも言えないが、ドライブが苦にならない僕にとってはそこに向かう時間すらいい時間に思える。まだ明るい時間にはサザンを聴きながら車を走らせ、名古屋で活動していたりロンドンにいたりと都会での生活を送っていた僕には360度山に囲まれた自然を味わうことも新鮮である。 窓を開ければ澄んだ空気が鼻からすぅっと入ってくる。まだ肌寒いこの季節、少しブルっとなりながらもそんな自然を感じる。近くにある川沿いには芝生が広がり、遊具がある。天気がいい時には家族でワイワイ遊んでいるのも運転しながらうかがえる。
夜になりだんだんと松山のほうへ近づき、辺りも、いわゆる繁華街らしさが出てくる、少し離れたところへ車を止めて店へと歩いていくルートも毎回違うルートを通っていき、毎回違うものを見つける。この店はどんなお店なのだろうか、どんな料理が出てくるのだろうか、道行く人にも目を向ける、最近は学生みたいな若い子が多い。この状況下で店も遅くまでは営業していないのか、僕が想像していたほど街は活気に包まれてはいない。
ネオンが消えている店も多く、看板が灯っていない店内にはわずかな明かりでなにか作業している人もいる。この時代に飲まれてしまったのか、補助金が出る地域はまだ救いがあることも多い、しかしこういった地域ではやはり厳しいのか。なんてことも勝手に想像する。
帰る時間帯にもう一度通ると、ガンガンと音楽が流れ、多くの人が楽しんでいるその様子で杞憂なだけだったと安心する。
そんな感じで僕は日常を送る当たり前の空間から、非日常の大好きな店の間にもいろいろな「好き」を詰め込む。だってまた月曜からはいつものように出社して、いろいろと厳しい言葉をもらいながら仕事を覚えることに励むのだから。
ちなみに再開したこのコラムのコンセプトは「マイダーツライフ」といったところだろうか。僕は海外のトーナメントや国内のトーナメントに参戦していた時期もある。そして今は普通のサラリーマンとしてダーツをどう生活に落とし込んでいくかを試行錯誤している。この環境でどう自分を高めていくかの追求だ。人並み以上にいろいろな「ダーツ」と向き合ってきたし、これからも何事にも縛られない「ダーツ」というものに出会い、感じていきたい。その情景や空気感が伝えられるように書いていくつもりだ。つまりいろいろな場所で、いろいろな人に会いたい。
お店に行けばいろいろな人に出会える。逆にいつも同じ顔が迎えてくれることもある。今だからこそ、人と会うことの大切さも伝えていきたい。
確かに大声でみんな集まれとは言えない。オンラインでモニター越しに会うことができると言ってもそれは実際には会っていない。「会う」という行為にとって替わるものなどないのだ。
僕は昔から会いたい人には会いに行ったし、行きたい場所には行ってきた。会うからこそできる話もある。会うからこそわかることもある。
僕が好きな店というのはそういったコミュニケーションの根っこの部分を大切にしている。
今この原稿を考えている僕はそんなお店のカウンターの端に座っているのだが、カウンターに座っている人たちやテーブルのグループの全員に笑顔があるというのはそういうことが伝わるからだろう。店柄というのか人柄というのか、もちろんダーツをプレイしているのは僕一人だけなのだが、そういった空気の中ではさみしくもない。
一息つきにカウンターに座ると横の女性が話しかけてくれたり、そこから話が弾み、また楽しい時間が長くなる。やっぱり顔を合わせることは大切だ。もう一度、焦らなくていいから少しづつ「人と会う」ということを思い出すきっかけにダーツのあるお店に行ってもらいたいものだ。