Ayano_column_No.14-Top

No.14 「境界線」

2014年3月

ルールとは規則であり、マナーとは礼儀であり、モラルとは道徳である。(広辞苑より抜粋)

日本最大の家電メーカーであるパナソニック株式会社の創業者・松下幸之助の倫理教育論の中から最も偉大な格言の一つをご紹介させていただきます。
【道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である。】
この二つを両立させてこその仕事人だと故人は記述していました。

どんな業界にも、政治にも経済にも、そしてダーツという競技においても、ルールとマナーとモラルが存在するのは当たり前の事ですが、その線引きは個々に委ねられていると言っても過言ではないでしょう。
現に、ダーツプレイヤーやそれを取り巻く環境で、随所で見聞きするマナーやモラルへの論争が絶えないのもまた事実です。ルールは規則としてはっきりと表記されているものですが、マナーは規則を守る者たちから語り継がれることで定着した作法であり、モラルはマナーを守る人それぞれの心の中に敷かれた誠意と正義で成り立つものですから。これらの正解は一つでは無く、また正解を生み出せないものでもあります。

私は普段、ダーツの試合等は足を運んだ関東の会場でのみ観させていただいていますが、先日は縁あってプロツアーの試合二戦をオンライン(ネット中継)にて閲覧するという機会がありました。

同日に行われていた試合は、PERFECT北九州戦とJAPAN岡山戦でした。この二戦は(ご存知の方も多いと思いますが)リアルタイムにネット上で動画として無料配信されていて、私自身もそれを利用しての観戦でした。

現場で感じる臨場感は無いにしろ、リアルタイムという事もあり、選手たちの緊張感や興奮状態等はそれ相応に伝わってくるものです。遠く離れた場所で戦う選手たちを、会場に足を運ばなくとも身近に応援できる画期的なシステムだと、改めて感心いたしました。

ですが、時間が経過しトーナメントが進むにつれて、私はその閲覧していた動画の中に、ある違和感を持ち始めました。それは北九州戦を観ても岡山戦を観ても、残念ながら同じ思いでした。
おそらくは壇上で、ベスト8くらいの試合での佳境に入った頃、両選手の手に汗握る接戦からふと主観性を外した時、それは私の目に飛び込んできました。
ダーツを始めた頃には誰もが憧れたプロ選手としての舞台上での一戦、その下に観戦者たちのために並べられた多数のパイプ椅子。その殆ど空席だという現状。中にはプロ選手としてのユニフォームを身に着けた人が、並べられたパイプ椅子の最前列の席で熟睡しているという一幕も…。更には、ほんの数十分前に動画上で試合をしていたプロ選手が、飲食物を手に談笑をしながら壇上での試合には目も向けずに横切って行く姿等。
そんな光景に黙ってはいられず、その場で私は配信されている動画に向けて、その行為に対する批判を声に出してしまいました。そしてそれを聞いていた周囲の人たちからは「こんなの当たり前だ」とか「どこの会場どの試合でも同じ風物詩だ」と制されてしまい、言葉を失いました。
日本のプロフェッショナルダーツという競技の世界の、正に底辺とも言える事態を目の当たりにしてしまった様な残念な思いでした。

プロライセンスを取得した選手がその試合に参戦する以上、規約と規則を守っているのは当然の事でしょう。近年では選手たちのマナーの向上も話題に上がる等、競技として業界としての発展を喜ばしく感じていました。
ですがその反面で、選手一人一人はプロライセンス取得者としてのモラルを本当に持って臨んでいるのでしょうか?
プロ選手とは、その競技団体に所属するという意味合いを持ち、試合を行う事で競技全体の立役者ともなる存在の筈です。つまりは、規則さえ守っていればというのは素人の戯言であり、スポーツマンシップには程遠い考え方だと私は思っています。
規定や規則を守り、礼儀や作法をも守る人たちであっても、その人たち全てが道徳を守っているとまでは言えません。
例えて言うなれば、プロツアー参加者たちなら誰でもカメラの設置されている試合台では動画の撮影と配信が行われているのは知っている事でしょう。そのカメラの真下で居眠りをしていたり、観戦席を横切ったり、空席だらけの椅子を気にも留めない等、それが日本のプロライセンスを持つ競技者の姿でしょうか?
自分の試合が終わってしまった敗者は、審判やスコアラーとしての役割が済めばその後は自由の身となる…というのは、ルールではありモラルではありません。
会場から立ち去る、飲食をする、談笑をする、睡眠をとる等の行為というのは、場と立場を弁えてすべき事ではないでしょうか?
図らずしもプロ選手というのは、その位置を目指す人たちの憧れと目標です。自身が手本となる姿を見せられているのか、今一度思い直してほしいものです。

スポーツとして競技として、日本国内ではダーツが未だその域に達することが出来ない要因は様々と言われていますが、ルールを作る競技団体やマナーを説く企業団体に問題があるわけではなく、むしろモラルを持てずにいる選手個々の問題の方が一理あると私には思えてなりません。

ダーツの競技試合として世界最高峰のPDCで見られる光景は、選手の登場と共に声援を贈り興奮状態に包まれる…まるで新年を迎えた瞬間のようなお祭り騒ぎの観客席。ひとたび試合が始まれば、そこはオペラ観劇をするかのような重厚感溢れる空気の中で、真剣な眼差しと緊張感を持って好戦に集中する観客席。日本のソフトダーツのプロツアーでは見る事の出来ない、此れこそが国を挙げてのプロフェッショナル競技だと羨望の思いと劣等感を持ってしまいます。

同じ競技を用いても、国と文化が違えばこれ程までに差が出来てしまうと悲観してしまうのは、日本の…とくにソフトダーツという業界が発展途上にあるのにも拘らず、遊びとしての境界線を越えられず足踏み状態にある現況を、私自身が肌で感じているからなのでしょうね。

【ルールは守るためにある】
規律を守る必要があるとか、規則を守らければいけないという義務の事ではありません。
ルールがあり決まりごとがあるからこそ「今」が守られているという事です。これは貴方が守るものでは無く、貴方を守るために作られてきたもの。そのルールとは、人としてのモラルがあってこそ成り立つものなのではないでしょうか…?