IGA_column_No.14-Top

No.14 自分自身が一番の師匠!何かあれば自分自身に問う事

2014年11月

大きいフォーム=パワーではない
プロ野球選手王貞治さんは一本足打法という奇抜なフォームで生涯868本の本塁打を量産しギネス記録に認定された世界のホームラン王なのは言うまでもないと思います。
しかし(1959年)入団当初は期待されながらも成績は伸びず、特に三振数が多い(この年三振数72で2・7打席に一回に相当)事で三振王と揶揄され、二年目三年目も鳴かず飛ばずの成績で相変わらず三振数が多い事が目立っていました。転機は1962年シーズン途中7月から成績不振の最中シーズンオフに二・三度練習しただけの一本足打法を強行的に敢行し、そこから爆発的に成績は伸びその年初めてのホームラン王を獲得しました。そこから13年連続15回のホームラン王、更に首位打者5回、打点王13回という圧倒的な記録を樹立したのです。

王さんやイチローは特異な存在ではない
この王さんの代名詞である一本足打法という手法はホームランを量産した事から「力」「パワー」を連想される方が殆どだと思います。しかし王さんはテレビ対談の中で一本足打法完成秘話を「プロの投手の速球についていけないから、バットスイングが遅れるから」と話しています。ようは投手の速い球に遅れてしまうから「始動を早くした」と言うのが理由でホームランを打つための力やパワーを得る事ではなく、根本的なバットにボールを当てるという成熟していない技術論からなり、結果的にホームランが打てただけで狙いは長打には無かったのです。

身体的負担のない技術論
イチロー選手も振り子打法という一本足打法で安打数日本記録を保持し断トツの成績を残しています。他には三度の三冠王を獲得した落合博満さんにしてもそうですが、決して「真似してはいけない特別なフォーム」と言われる側面があると思います。
本当に特別なのでしょうか?三人の特徴は「確実性」と「現役生活が長い」点です。三人とも下半身を大きく動かす特徴のバッティングフォームでありながら生涯打率は三割を超え、そして過酷な状況で早期引退する選手が多い中大きな途中離脱もせず成績を残しています。これは身体的負担が少ない技術論こそが効率的な結果を残す要因である事の証明をしているのではないでしょうか?

IGA_column_No.14-1

下半身固定は百害
下半身は動かない方がいい、軸は固定、身体がブレない、等々あらゆる運動理論の中で無駄を省く(かのような)考え方が蔓延しています。野球界でも「つっこむな」「ひらくな」「その場で回れ」等一見腑に落ちるような技術論がありますが、それらを一流選手が実践していない側面があるのです。ダーツ界においてもフォームは様々で「やってはいけない」と言われている技術論を果たしてトッププレイヤーはやっていないのでしょうか?

技術論で最重要課題は「トップ」作り
運動力学において一番大事な動作は「トップ作り」です。トップとは運動の切り返し点(位置)の事で、全ての運動に存在します。ボクサーがパンチを繰り出す動作で引く動作から打ちにいく動作、サッカーで足を屈める動作から伸ばす動作、ゴルフで言えばドライバーをバックスイングする動作から打ちにいく動作、ジャンプする時も屈む動作から伸びる動作へとありとあらゆる運動で出力する前側(トップまで)と後側(トップから)の中間の事をトップと言うのです。
王さんの一本足打法という打撃理論は正に「トップ作り」です。始動が遅い事で準備が足らず速球に差し込まれていた状況でセットする構えを省いてトップをいきなり作る事で始動の遅れを是正するという手法だと思います。イチロー選手にしても落合さんにしてもこの上半身トップが非常に「深く」、下半身が突っ込んだり開いたりしても上半身のトップが「我慢」出来ているのです。トップが我慢できれば下半身が動こうがブレようが突っ込もうが関係ありません。逆に上半身トップが我慢出来なければいくら正常に下半身が機能したとしても意味が無いのです。

ダーツ運動はトップを作るのが難しい
この運動力学において最も重要なトップ作りですが、ダーツ運動においてこのトップ作りが非常に難しい理由が解剖学にはあります。
以前にも本コラムで書いていますが、ダーツのセットアップにおいて腕の回内運動(セットアップで矢先を正面に向ける運動)をする事で肘を屈曲させる主力筋である上腕二頭筋が作用しなくなり、更には(説明を省きますが)代用の腕橈骨筋が橈骨神経支配の筋肉なのでどうしても「伸ばす」という運動が強くなりテイクバックが非常に難しくなるのです。このテイクバックがそもそも難しいダーツ運動においてトップを作るという事が非常に難しい上に、巷に蔓延る常識的で誰もが疑わない技術論の中に不整合を助長する考え方が沢山あるのです。

人間は単なる構造物という発想
人間には自前の動力があります。ようは自力で坂・階段・梯子を上る事ができ重力に逆らう事が出来ます。無理をしてでも目的に手を伸ばし掴む事が出来ます。この自前の動力がある事から気付きがなくなってしまうのです。力学とは万人に共通し一定の結果を指示します。10kgの個体が時速10kmで進んで10m先の壁に衝突したときの衝撃力は気分に関わらずいつも同じなのです。どういう構造にすると車は早く走り燃費を抑えられるのかを力学的に考えると思います。家の耐震設計にしても限りなく計算により行われていると思います。
人間とは言え骨格を中心とした構造物です。自分自身に最小限の動力しか与えられない時どのようにして力を伝えようとするでしょうか?もしくは丸めたティッシュを放る場合や紙飛行機を飛ばそうとする時腕を振るという概念は生まれるでしょうか?

自分自身が一番の師匠
コントロール性とは力をいかに効率よく道具に伝えられるかであって左右・上下などの向きの話ではありません。運動は準備に対する解剖学的視点と出力に対する力学的視点が同時に必要で、特にダーツ運動は一つのキーワードで継続的に何とかなる代物ではありません。トップを作る為の準備を最大に考え、出力する事やトップからの腕の動きは結果でしかないのでどうする事も出来ないと考えて差し支えないと思います。トップを作るためにはトップを作らせてくれない解剖学的要素を理解する必要がある、もしくは自分の身体に問いながら好きなようにやる事が重要だと思います。自分自身が一番の師匠!何かあれば自分自身に問う事だと思います。それでも悩みが解決しない場合は是非ご相談ください!