Big Baby_column_Top-9

No.9 再びイギリスでダーツをすることを諦めているわけではありません

2018年1月

2018年最初の号で僕の記事があるということは今年もNDLに寄稿をするということなのでしょうか。
これからもNDLをよろしくお願いいたします。
さて僕は普段本を読むことが好きなわけですけども、とりわけ歴史小説が好きなわけです。日本の歴史をたどっていって現代に通ずることを感じとることが何気ない生活の中の喜びの一部となっているわけですね。
そしてまたその中でも幕末や日本の変革期における時世の変化、人間ドラマなどが面白くそそられるのです。
当時の日本人は今ほど寿命も長くはなくその短い生涯を激烈に生きていました。
しかも明確な目標や夢を抱いており、大きく言えば日本の伝統を守るんだということに命を懸けた者、日本の封建的な社会性を排除し外国にも目を向けながら欧米列強にも負けないような日本を作り上げていこうと命を懸ける者、そんな激動の時代がほんの150年ほど前の日本にありました。

幕末維新と言えばそのスケールの大きさ、そのドラマに好奇心を掻き立てられたりその男臭い時代背景にぐっときてしまうのですが、きっとどの業界でもそういったドラマを経て今に至ると思うのです。
事実が裏付けているように上記の二派の戦いは後者の勝利で開国へと突き進んだ日本ですが、大きく進展したのはおそらく武器の輸入からの薩長2大藩
の戦力強化からだったことでしょう。
欧米で当時使われていた銃器を開国派が手にしたことにより幕府側との戦いで圧倒的な戦力差で勝利したわけですが、ここに僕は驚きと感動を覚えたわけです。
当時のことは文献や書物でしか感じ取ることしかできませんが、武士が刀の時代は終わり次の時代なんだと考えたその覚悟はなんとも言葉では伝えきれません。
もちろん僕自身、当時の階級社会や武士道などはその根底までは理解できていませんが。
しかし江戸幕府が開かれてから長い間同じ体制で日本という国は素晴らしい文化を生み出し、今もなおそれは受け継がれています。
しかしそこに切り込むといいますか、それだけじゃダメなんだよということを考えることができる視野の広さや覚悟を見習わなければならんとそう感じるわけです。

現代を生きる僕であってもその崇高な生き方や死に方の模索の仕方などは日本人として持たなければいけないことだと感じますし、僕の歳の志士たちはとっくに日本を動かすために奔走していました。
そんなことを思っているうちに頭をよぎったのは日本のダーツ界も、もしかすれば構図的に似たようなのものを描いているのではないかということです。
日本で作り上げてきたソフトダーツ文化と外国のスティールダーツ文化。
僕はどちらかが絶対にこうあるべきだなどということは全く思いませんが、潜在的に今までやってきたことから凝り固まる固定観念は生まれてくるでしょうし、今の現状から変化を起こすことに消極的になってしまうことも理解できます。
勝手に感じているだけですが日本のダーツ界がより良く変革していくためのタイミングはきっとこの先5年なのです。
この5年間で何を作り上げていくかがこの先業界全体やダーツのレベルの底上げに繋がっていくことだとそう心から感じているわけで、だからこそこう発信しているのですね。
大会のシステムや運営方法などPDCでは設立してから25年で飛躍的な成長を遂げたといっても過言ではないでしょう。
運営スタッフや選手などが一丸となり各々がダーツに対して一生懸命にやっていることの表れだと思います。
日本ではダーツブームが起こり始めたのが10年ほど前でしょうか。
それをこの期間でここまで作り上げてきた先人たちの努力と苦労には頭が上がらないですが、僕たちの代はより良いものを作っていかなければならないわけです。
しかも必要ならば今までのものを壊し今までのことを水に流してまでも。
ダーツのレベルでいってもスティールダーツの話にはなりますが、先日の世界選手権で浅田プロが世界にも負けてない素晴らしいダーツを披露してくれました。
年々上がるレベルに自分も含めていつかはあの場所でと心躍らせているプレイヤーは少なくないでしょう。
僕はイギリスに行く前に何度かスティールダーツの大会で優勝や入賞はしていましたが、それはあくまでソフトダーツの延長線上でのことです。

2年ほど前にこれだけじゃ先を見たときに戦えないと思い、海外の選手を研究して自分なりの解釈で今も続けていますが、それからというものなかなか勝てない日々を送っております。
しかし僕はこう考えます。「幕末でいえばまだまだ攘夷論者のほうが多い時期だな」と。
海外の物を当時の武器でいえば型落ちの物を輸入してきただけであって、まだまだ戦えるものまでたどり着けていない。そんなとこです。
僕はこれから持ち込んだものを磨いて戦えるレベルまでもっていかなければなりません。
薩摩も長州も日本を変えた2大藩ですが、もともとは外国は敵だと考えていたグループですし、幕府に関係なしに外国と戦争もしています。
しかしその結果、外国にコテンパンにやられてしまうわけですね。
ただそれがあったからこそ海外の力は物凄いと、使わないに越したことはないと開国に傾いたわけです。
ダーツ界にだってその道をたどるプレイヤーがいたっていいと思います。
外国に行きいろいろなものを目にしてきたからこそ感じる取るものがあるわけで、そこからの進化に対して今までの物を捨てたっていいのです。
そんな思いで2018年もやっていきます。
ダーツ界の志士となれるように今年も駆け抜けていきたいものですね。

話は変わりまして、2日にロブ・クロス選手の優勝で終わった世界選手権ですが、非常に見ごたえがある試合の連続でした。
とくに今シーズンで引退を表明しているフィル・テイラー選手の活躍に注目が集まっていましたがそこは流石、決勝まで順調に勝ち進んでいました。
ただ決勝ではロブ・クロス選手に敗れてしまいましたが、その輝かしいキャリアは今後ダーツ史に燦然と輝き続けることでしょう。
優勝のロブ・クロス選手は2016年まではアマチュアのプレイヤーとして活動し、2017年からプロツアーカードを取得し、たった一年での世界チャンピオンの座につきました。
漫画のような話ですが、これは事実ですし、コツコツと力を付けることはアマチュアもプロも変わらないことを見せてくれたような気がします。
もう一つ僕が気になったことは、今回の世界選手権では3名ほどイギリス滞在中にダーツをしたり試合をした選手が出場していたことです。
いい勝負をしたり、練習したり、談笑
した選手が活躍していた今回の大会は僕のモチベーションをまた一つ上げてくれたものとなりました。
PDCの世界選手権は終わりましたが次はBDOがあります。
こちらも年々レベルが上がっており、BDOからの移籍組がすぐにPDCで活躍することも最近では珍しくありません。
実はこのレイクサイドに出る選手がリーグなどで対戦する機会は多い傾向にあります。
スーパーリーグ(日本でいえばPDLやフェニックスリーグ)にはBDO選手の多くが参加しています。
といってもBDOの選手はプロではなくアマチュアですからなにも特別ではないのですが、その実力たるやランカーはPDC選手と遜色がないと言ってもいいでしょう。
そしてアマチュアの選手にとってこのリーグは、参加している選手たちにとってとても大きな生活の一部となっており、毎試合息をのむ、物凄い緊張感の中で行われます。
僕自身も参加していて非常にいい経験になりました。
アレクサンドラ・パレス(通称アリパリ)はPDC最高の、すべてのダーツプレイヤーの憧れの舞台だとは思いますが、レイクサイド(BDO世界選手権の会場)はスーパーリーグ参加者にとっての最高の舞台だと感じます。リーグ参加者やアマチュアの選手の多くはアリパリよりもレイクサイドを目指している
プレイヤーが多いのも事実です。
比較的ベテランと言われるような選手の多くはここを目指している、そんな話を何度かイギリスでしたのも懐かしい思い出の一つですね。
僕はどちらの会場も実際に行って直接試合を見ましたが、団体関係なしにどちらも、ものすごい熱気と興奮でそのステージは覆われています。
あんな場所でダーツができたら最高に楽しいんだろうなといつも思いますし、見るたびに自分のレベルとの差にもやもやしてしまいますが、先ほども言ったようにまだまだ発展途上なので、いつか必ずあの舞台でダーツする日が来たときに最高に楽しめる準備をするだけですね。

これを書いている一年前はイギリスで生活していたんだなと、なにかもうだいぶ昔のように感じてしまうぐらい時が経つのは早いですが、僕は再びイギリスでダーツをすることを諦めているわけではありませんし、あの舞台どころか、あの土地で生活することを目指して続けていきます。
それでは今回はこんなところで。