Big Baby_column_Top-5

No.5 ノートに気持ちや考えを綴ってみてはどうだろうか

2017年5月

Big Baby_column_No.5-1

ふとこの前話に聞いたのだが、今の自分の平均値はいつも周りにいる5人の平均値らしい。
性格や年収などいろいろなものが周りの人に影響されているというのだ。
つまり自分を形成しているのは、周りの環境ということではないだろうか。
自分を変えたいと思ったら、まずは何か行動することも大切だが環境を変えるということが何よりも大切だと思う。

僕は今、イギリスのロンドンのとあるカフェでこの記事を書いている最中だが同じことは日本でもできる。
ただ周りから聞こえてくる言語、ガラス越しに見える町中の様子、行きかう人々、これらは日本では見ることや感じることはできない。
それはダーツも同じだ。
僕自身ではダーツの取り組みかた、感情がどう変わっているのかは現時点ではわからないが環境を変えたことによる変化は少なからずあるのだろう。
帰るまでに4カ月を切り、この記事を皆さんが読んでいるころには3カ月も切っている。
以前は自分がこの残り時間でどう変わって日本に帰れるかということを考えていたが少し変わってきた。
このイギリスの環境に身を任せて、今自分ができることに集中し取り組み、変化していくということだ。
頭で考えていることの先にはなかなかいいことがないというのが僕の経験上ある、心に素直に行動した先にポジティブなことが待っているのだ。

なるべく心に素直に従えるように言葉使いや考え方も変えるようにした。
僕は「できない」と思ったら「できない」「できる」と思えば「できる」のだと考える。
なにか特別な難しいことに当たってしまったときでも心の中では「できる」と思い続ける。
そうすることによって「できる」理由を探すようになるからだ。
どうすればそれができるのか、誰と会えばそれができるのか、できたイメージから逆算する。
脳科学の本をたまに読むのだが、僕が読んだたいていの本には「脳と体の関係性」などが触れられている。
ポジティブな心を作るために思考を自分で操るのだ。
それが結果的に行動に表れ、いい方向へ導いていく。
そのためには付き合う人を変えるというのも一つの手である。
先ほども言ったように、周りにいる5人に「自分」は最も影響を受けるのだから周りのレベルが上がればおのずとそれに追いつこうとして「自分」のレベルもあがる。
そんなことをこの前、友人と話していたらふと思い返した。
僕は昔からお店のお客様に言っていたのだ。
「低いレベルの中で高いレベルと思うよりも、高いレベルの中で低いと思ったほうがいい」
そうすればいつまでも向上心は消えない。

こちらに来て、周りの5人どころかほとんどのリーグで対戦するプレイヤーは僕以上だろう。
勝率が3割ほどにとどまっているということがそれを物語っているが、そういう環境に身を置けているということは自分を高める良い機会に恵まれているということを感じて過ごさなければいけない。
この記事を書いている日の朝、東京ではTDOのシーズン優勝をかけた試合が行われていた。
試合を見ていて、日本のレベルは間違いなく高くチーム戦を見ればこちらでも負けばかりとはいかないだろうと感じた。
また日本のリーグ戦は「部活動」みたいなものだとの印象も受けた。
僕も学生時代は部活動に励み、高校はそれなりに有名な高校だったので毎日が辛かった。
何が辛いかと言えば、いつもプレッシャーの下で戦わなければいけないし、厳しい練習を毎日こなさなければいけないということなど細かいことを挙げればきりがないが決して嫌だったわけではない。
その環境の中で培われたものも、もちろんあるだろうしあれだけ怖かった監督には今になってみれば感謝しかない。
僕の、ダーツをスポーツとして考える基礎はきっとその時代に作られた。
だから今回TDOの試合を見ていて、ものすごくいい「環境」だなと感じた。
大人が本気になれる、みな学生のように声を張り上げて励まし、喜ぶ。
負けた側はがっくりと肩を落とし、本当に申し訳ない気持ちでに席に戻る。
あの環境にいれば毎週、自分を高める機会が訪れて、自分と向き合えることもできる。
つまり、TDOもイギリスと負けないぐらい僕の目から見れば魅力的なのだ。
それに比べてこちらのリーグはやはり「文化」である。

近年ではPDCの成長とともにダーツのスポーツ化が進んでいるがリーグともなるとやはりその色は薄い。
1チーム最低7人で行うが、日本と比べるとチーム戦というよりも個人戦だ。
もちろん勝つということに向かう姿勢は変わらないが日本のような「部活感」はないし、負けても申し訳なさそうにすることはなく、あくまでも自分が打てなかったことに対していらだっている。
形式もすべてシングルスということもありどこか個人に徹底しているところはある。
ただだからと言って自分が甘えられるほどのレベルではない。
短パンにサンダル姿のプレイヤーがav.100を超えてくることもある。
ダーツに関していえばここは世界1の国イギリスである。
その中に身を置き、リーグにも参加させてもらっているということは環境を変えて自分を変えていくということに当てはまっている。
そしてもう一つ気持ちを作るうえで僕が欠かせないのはノートになにもかも綴るということだ。
ダーツを始めたときのノートは今も家にあるだろうが、書いてあることは大体覚えている。
何故かといえば今も書くことは変わっていないことが多々あるからだ。
変わった点と言えば、やたらとポジティブワードを書き込んだり夢について書いたりしている。書くことでそれは少しづつ現実に近づいていく。

自己暗示、自己啓発と言われればそうなのだがそのような難しい感覚ではなく、ただ単に自分の気持ちを確認したり、その時の考えなどを確認するために使う。
そのために心の中の会話や、投げかけを文字に起こすことは僕にとっては物凄く意味があることだ。
この作業を続けていて気が付いたことは、小さなことでもなるべくノートに書いて忘れないようにしたほうがいい。
なにか、もやもやした時にその一言で解決するかもしれないからだ。
昔聞いていた曲を聞くと、その頃に戻った感覚を持ったことがある人は多いと思うがノートも同じである。
その頃に綴った言葉を見ると、その時に戻れるし、もしかして忘れていた気持ちが戻ってくるかもしれない。
フォームであったり気持ちであったりと、僕は毎日変化している。
その変化についてプラスであってもマイナスであっても僕はそれを進化と受け止める。
かのダーウィンも言っている「唯一生き残れるのは、変化できる者である」と。
変化をやめた先には退化しか残っていない。
現状に満足せずに日々変化をする人がきっと世界に近づいていくのだろう。
その変化について細かいことでも常に記録していけば、自分の変化について知ることができる。
そして綴ることにより考えるという癖もつく。
ダーツはよく感覚論で語られることが多いが、学者のような専門用語はいらないので自分なりの解釈で腑に落とすべきである。
トッププレイヤーは高いレベルで動きを再現できるがゆえにその変化になかなか僕たちは気付けないが、数シーズン前の動画を見ればその変化は一目瞭然ということも多い。
どれだけ、高いレベルでパフォーマンスができたとしても彼らは止まっていないし、進み続けている。
そんなことを思いながら記事を書いていると、こちらに来てからの取り組みは確かに変化していると気づく。
日本にいるときよりも、一層上手くなりたい欲や強くなりたい欲がつよくなったのだろうか。
それか、周りに必死に追いつこうともがいているだけなのかもしれない。
人間というものは否定形を想像できないらしい。
「カレーライスじゃないもの」という言葉を見ただけでもカレーライスが頭の中に浮かんだと思う。
ようするに否定形を想像しようとするとその逆のことを想像してしまうのだ。
「失敗したくない」という思考は瞬時に「失敗している」ということが頭によぎる。
そしてそのイメージに体が引っ張られてしまう。
「失敗したくない」と思ってしまうと失敗する確率は増すのだろう。
だからこそ、常にポジティブなことを考えられるように環境を変えたりノートなどを使い、日々訓練しなければならない。
「負けたくない」より「勝つ」
「ミスしたくない」より「入れる」
このように。

こちらに来て練習スタッツも確かに上がっている、英語での会話もなんとかこなせる、大会でもやっと慣れてきた。
こうしたことはきっと環境の変化や取り組みの変化がもたらしたことだろう。そしてなによりも限られた時間ということもあり目の前のことに全力を注ぐということもできる。
大切なことはこうした取り組みをどんどん上のレベルに持っていき、日本で進化させその環境を伝えることだ。
日本に帰ったらすべてが逆戻りなんてことは望んでいないし、むしろイギリスにいるときよりも濃密に毎日を過ごしていかなければならない。
ただどういった変化も僕は歓迎するし、ノートに言葉が増えたり環境が変わったりすると僕は進化しているんだと感じることができる。
皆さんもたまにはいつもと違う人と練習してみたり、ノートに気持ちや考えを綴ってみてはどうだろうか。